真田ピロシキ

PLAN 75の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

PLAN 75(2022年製作の映画)
4.1
『メタモルフォーゼの縁側』や漫画『海が走るエンドロール』で老いることは恥でも諦めることでもゴールでもないというポジティブなメッセージを受け取ってた中で、しかし現実社会が発したがっているのはこっちなんだよなあと暗澹たる思いにさせられる映画。

まず冒頭がショッキング。「高齢者版植松聖…」と呻きそうになった。この植松もどきが起こした大量殺戮が引き金となって75歳以上の安楽死法PLAN75が成立したのは全く突飛な話とは思えない。普段から汚いインターネットには「ジジイババアを優遇するのをやめろ!」と対立を煽り、外国人(欧米系は除く)への憎悪を募らせ、植松の凶行にはシンパシーを抱いていたクソどもがたくさん生息している。反社カルト宗教の広告塔してた自業自得の最低野郎はそれに対して一切非難のコメントを発さずに権力がそうした考えにお墨付きを与えてらっしゃいましたものね。弱い者イジメが大好きで権力者には噛みつかない日本人様(植松などその典型)ならそういう制度が敷かれれば粛々として従うだろう。

気色が悪いのはそんな制度が全く悪びれることなく、役所はもちろん病院や公園などでもカジュアルに宣伝されててこれは別に非人道的なことではないという空気を醸成しようとしている点。そうなると当事者である高齢者も段々死を選ぶことが自然なように刷り込まれて行く。「病院に来るのも長生きしたがっているようで後ろめたい」「産まれる時は選べないから死ぬ時くらいは自分で選ぼうか」と。でも死ぬ時を選びたいと言うなら別に120歳まで生きたいと言っても何の問題もないんだ。空気に騙されてるんですよ、貴方達。

植松もどき前後から高齢者が襲撃されてると語られるが、劇中では実際に高齢者が危害を加えられる描写はなくて、ボーリング場の若者のように逆に人当たりが良く描かれている。しかしニュースでは安楽死プランの経済効果を誇らしく語って対象年齢の引き下げまで検討されており、町では炊き出しが当たり前に行われてて、ホームレス排除のためにベンチに仕掛けが設置されようとしている地続きの地獄がシステム化されている。そして安楽死は自由意志と言われているが、働き口からは締め出されて自然と誘導されて行く。ホテルの若い従業員は別れを惜しむ顔をしていて本心なのだろうが、それ以上の考えには及んでいないだろう。そしてこの世界の日本も多数が常にカルト宗教と大企業の味方な自民党を支持しているはずだ。意外なことに生活保護はまだあって無職になってアパートの更新も難しくなった主人公ミチ(倍賞千恵子)は話を持ちかけられるが、嫌そうな感じだったのが日本人にかけられた自助の呪いでヘルジャパン風刺が更に激しい。

日本という社会および政治システムのダメさをこれでもかと描いている中で個人にはまだ何とかという思いが伺えて、役所のヒロム(磯村勇斗)やカウンセラーの遥子(河合優実)らが当事者と触れる中で見せる葛藤を好演している。特に河合優実の最後の電話口で動揺を隠せない演技や後ろで意志を翻させないよう話されているカウンセラー指導を耳にした時の硬直など流石現在の注目株の役者さんだ。そしてなんと言ってもある年代以上なら馴染み深い寅さんの妹さくらさんが社会に居場所を奪われ、それでも何とか存在価値を示そうとしても叶わず、折れて死を選ぶのは哀しすぎる。国民的俳優だからこそのキャスティング。

救いのない話なのだろうと思っていたが、予想に反して同調圧力のアウシュヴィッツから帰還したのは、この先になんの当てもなくてもほんのほんの僅かな希望を見出さんとしている。若かろうが老いていようが、金持ちだろうが貧しかろうが、生産性があろうがなかろうが、自分の生命の主人たり得るのは自分自身をおいて他にはない。他人に、空気などに屈するな。ましてや植松もどきが言っていたお国のため的言説など唾を吐きかけてやれとか細い声ではあるが言っている。この植松もどきが言ってた言葉に対しては高齢者や障害者の生存権に対するものだけではなくて、もっと社会全体の構成員に忖度せず個人の権利を突きつけてやらなきゃダメなんだと言ってるんだと思うよ。国なんて実体のないものと自分を同一視するような薄っぺらい連中には反抗を!2度は見なさそうな映画と思っていたが、配信されたらもう一度見るかもしれない。

余談ですが映画館の鑑賞マナーがとても悪くて前列ではスマホチカチカ、ラストの夕陽では着信音がなって台無しでした。他人の鑑賞スタイルに目くじらは立てませんが、このレベルは別です。着信音野郎はドアで指を挟んで怪我するよう呪いを投げかけときましたわ。