くりふ

珍しい花の歌のくりふのレビュー・感想・評価

珍しい花の歌(1959年製作の映画)
3.0
【花を愛でることも欲望なり】

特集上映『オタール・イオセリアーニ映画祭』にて。

私は、今回の映画祭がオタさん初体験で、8本ほど見られましたが、どれも私にとってはどこか、退屈な時間を含んでいました。

退屈の因がわからないとハズレ作を引いた時、退屈が拷問時間に発酵してタイヘンですが…どうもその要因は、政府の検閲を通すために被った仮面と、そこから根に染み付いた余所余所しさから引き出されるものか?と理解?しつつあります。

本作は、旧称グルジア時代の短編ですが、本編のみでは不明点が幾つもあって、情報不足という余所余所しさから、判断が難しい。

お国が後付けしたナレーションはどうでもいいのですが、流れる歌の、内容が知りたい。グルジアと、それ以外の国の歌が場面ごとに、意図的に使い分けられているようですね。

また、唯一の登場人物はミハイル・マムラシヴィリという造園家らしいですが、出した意図が明確には読めず。冒頭の温室も彼のものではないでしょう。その対比は何を狙ったのか?

“排除される花”には、本音では某国からの抑圧を込めたのでしょう。たまたまNHK青年の主張みたいな言い方なので、ナレーションを被せたのみで許されたようですが。だってオタさん含めみんな、いま住んでいる場所だって、ああいう経緯を経たのかもしれないからね。

青いなあ、と政府当局からは苦笑されて、上映OKもらったのでは?原題『Sapovnela』は“誰も見つけられない花”という意味らしいが、映画がそれを表しているようには思えない。

そんなこんな、不明点もあれど、画は美しいし、情緒面ではそこそこ愉しみました。概ねは以下の流れを感じましたが、ネタバレでないと思うので、書いてみます。

珍しい花ルッキズム
(様々な花の美顔を、目で愛でる)

触感とディスプレイ
(“カワイイ”多肉植物。花を飾り愛でる)

花を遺し自分のものにする
(押し花という記録メディアで愛でる)

花を表現し纏う
(絵に描き、文様として生活に組み込む)

…という流れまでは、あくまで人間を主体とした、花に対する欲望の変遷として、とてもわかり易くてスンナリ、入ってきました。

でも、“NHK青年の主張”が始まっちゃったりして、締め方はよくわかりませんでしたね。

百花繚乱を描いていても、描いている本人がまだ、蕾だったのかなぁと。しかしこの後で、オタさん本人が“珍しい花”として、ヒネた場所で咲き誇ることになりますが。

<2023.3.24記>
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