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僕らの世界が交わるまでのdojiのネタバレレビュー・内容・結末

僕らの世界が交わるまで(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

すれ違い続けるふたりにくすくす笑いながら、ものがたりのラストのシンプルな帰結にはしっかりこころを動かされた。ふたりの胸の中でなにかの感情が動いていることをじっくりカメラのズームで描くのにはなんだかユーモアのようなものが生まれていたし、空回りしながら爆走する様子を切り取る編集も笑える。どこかノア・バームバック的なタッチではあるけれどユニークで、ジェシー・アイゼンバーグのセンスのようなものがしっかりあるのを感じ取れる初監督作だっだ。

10代になんてぜったいに戻りたくないなと感じるのと同時に、この時代にティーンネイジャーをやるのはなかなかしんどいのだろうなということがひしひし伝わってくる。ミレニアルのぼくからすると下の世代の政治意識の高さに突き上げられるような気持ちでさまざまなことを学んだけれど、「正しさ」の刃に切り返す術も知らないまま周りの同世代のwokeな状態に合わせながら学生時代を過ごすのはなかなかきついだろうなと思う。

とはいえ決して社会正義に斜めの目線を注ぐような映画ではないし、政治の季節に世界が突入していくことを背景に描きながら、その中でなにか無理が生じてしまっているのであれば、見落としていたものに気づくことがなにより大切だと示すような、こう書いてみるとかなり素朴なメッセージの作品だと思う。タイトルにある通り、世界を救うことについて考えるのを止めた時に、思い浮かぶのはやっぱり身近な誰かなのかもしれない。

ぼくはこれといって反抗期もなく、母からギターをもらって音楽をつくりはじめたようなものだから、たぶんエヴリンがジギーに注ぐような視線を受けていたわけではないのだけれど、なんだかエヴリンが親心のようなもの(これってなんだか表現としてむずかしいけれど)注ぐ対象を探して車を走らせる姿を見ていると、母のことを思ったりするのだった。そしてジギーが無言で他人に近づく癖を父から受け継いだように(それがわかるシーンは笑った)、ぼくもしょうもないところで父と似ているのだろうなと思う。

ジュリアン・ムーアの演技が自然すぎて実在感がすごいある人物造形だった。あらためてほんとうにすてきな歳の重ね方をされている。
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