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カリガリ博士のmasatのネタバレレビュー・内容・結末

カリガリ博士(1920年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

1920年の人々にとっては、とてつもない恐怖、今の自分への不安を、大いに煽ったのではないか?
まさに、夜も眠れないホラーだったはずだ。なにせ、「列車が(客席へ)突っ込んで来た!!」と、観客が席を立ち逃げ出してから、まだ25年しか経っていないのだから。
今夜も窓辺に、ツェザーレがやって来る!?と・・・

しかしこんな高度な脚本が、100年以上前に完成していたとは驚く。この高度なプロットが、恐怖は怪物が登場するだけではないと言う“定義”を、打ち立てていた。
“人間は夢を見る”と言う、この不思議な特性が、恐怖の装置として作用する事を知ってしまい、以後、今日に至るまでこのロジックは活用され、ホラーにおけるロマンを物語っているのだ。

また、当時流行の“表現主義”と言う技法が見事に題材に呼応し、これぞ“悪夢”の表現として、現出する。
まるで悪い夢でも見ている様なデフォルメされた映像は、なんだよ“精神異常者の夢かよ”と言うオチを、より恐ろしく体感させ、自分自身の不安定さを実感させる。
自分は起きているのか?生きているのか?
ガリガリ博士の最後の台詞「これで治療方法が見つかった!」とは、どんな方法なのか?(おそらく当時実際に試みられていた“睡眠療法”なのではないかと思う。即ち永遠に起きない治療、結果的に死を意味してしまった治療)

院長が発見したその治療方法は、永遠の謎である。
だからこそ、この1920年にこの映画を観た瞬間から、映画は夢であり、さらに、映画は悪夢を見せるものであると言う映画における“夢”の両輪が動き始めた。
その夢に魅せられた多くの奇人が、100年以上に渡り、心躍る悪夢を創る事になるのだ。
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