KnightsofOdessa

The Happiest Girl in the World(英題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

4.5
[私はデリア・フラティア、世界で一番幸せな少女です] 90点

大傑作。ラドゥ・ジュデの長編デビュー作。"世界で一番幸せな少女"と題された映画は、全く幸せそうでない少女デリアのしかめっ面から始まる。両親の運転する車の後部座席で寝転がる彼女の身体全体から、これから起こるであろう"面倒なこと"への嫌悪感が滲み出ている。それもそもはず、ダリア一家は清涼飲料水会社の主催するコンテストで優勝し、賞品としての新車授与とCM撮影のためにブカレストへ向っているのだ。そこに、"あなたのためだから"と父親と離婚しなかったことなどを押し付けてくる母親に、自分の話を全く聴かずに新車を売る相手を探しに出た(まだ貰ってすらいないのに!)父親が付いてくるのだから面倒に感じないはずがない。両親はとても娘にやるとは思えないような実に嫌な手を使ってデリアを攻め立て、新車を売っ払おうと躍起になる。確かに、デリアは高校生で免許もないので車を使うこともメンテナンスも出来ない。実際にデリアは車が切実に欲しいというより、自らが獲得したものを奪われそうになって必死に守っているように見える。つまり、新車は親子の間にある緊張感が具現化したものであり、資本主義/消費主義によって破壊される関係性のメタファーでもある。

映画は親子喧嘩とCM撮影が同時並行で展開される。炎天下の撮影現場は素人のデリアには良い環境とは言えず、服や化粧や笑顔について散々ダメ出しをくらい、リテイクを重ねる度にしこたまジュースを飲まされて、"幸せな"笑顔を強要され、スポンサー会社重役の一声でクルーとデリアを乗せた箱舟は先の見えない迷走を繰り返すことになる。時には"美味しそうに見えない"ということでジュースにコーラをブチ込んで色を変え、全く違う商品にしてしまうことすらある。資本主義/消費主義の闇の最前線に叩き込まれたデリアは、それらに踊らさせて搾取されているようにも見えるが、それらの中心にある車を守ろうとするデリアの姿は、資本主義の一翼を担っているとも言えるだろう。
興味深いのは撮影現場が街のど真ん中にあり、休憩を言い渡されたデリアは両親から逃げるように街中へと溶け込んでいくことだろう。実在の社会の小集団をサンプリングしたことを明示する役割を果たしながら、世間知らずともとれるデリアの"成長"を首都ブカレストで描くことにも皮肉を感じる。

世界で一番幸せ!と笑顔で言いながら、裏では金に目がくらんだ両親に"車を売らないなら勘当する"とか言われてるんだから笑ってしまう。ラストのやけくそになった"もっと飲め!"三連発を含め、終始消耗させられる一作。
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