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恋するアナイスの一のレビュー・感想・評価

恋するアナイス(2021年製作の映画)
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新たな短編集が出たので再読したマッカラーズ『悲しき酒場の唄』に「愛される者は、それまで長いあいだ愛する者の心のなかに、ひそかに蓄積されていた愛を爆発させる起爆剤にすぎないことがある。」という言葉があるが、本作はまさにそういった出来事を描写している。序盤に登場する恋人および、つまらない浮気相手として登場し、中盤では三角関係コメディの気の毒な仕掛人となる文系中年ダニエルに対する主人公アナイスの態度と、ダニエルのパートナーである作家エミリーに対するそれのまるで違った相貌。前述の言葉に続けてマッカラーズは「愛する者は愛される者を相手に、ありとあらゆる関係を持とうと熱望する。たとえその経験が愛される者には苦痛しかもたらさないとしても。」と綴る。これもまたアナイスの愛し方である。その利己性は、アパートの大家や休暇中に部屋を貸すだけの韓国人カップルを相手に、パートナーとのプライベートな話を一方的にアケスケに語るシーンにも現されている。登場の瞬間からすでに走っている、この騒がしい“ブルドーザー”的女を嫌味なく演じるアナイス・ドゥムースティエはすごく良い。「恋には決断が必要」とムニャる浮気相手ダニエルに「あなたは自分の望みを自覚したほうがいい」(これと全く同じことを僕は前に付き合った人に言われた!)とアナイスは言うが、欲望の対象・愛の起爆剤を発見してしまった彼女の行動は、自覚以前に衝動的で、利己的で、“暴力的”だ。が、それ故に甘美に成就する。他に誰もいない海辺で。エレベーターの中で。「こういうわけで、すべての愛の価値と品質は、もっぱら愛する者自身によって決定されるのである。」
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