Mizuki

カラオケ行こ!のMizukiのレビュー・感想・評価

カラオケ行こ!(2024年製作の映画)
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最後の大会が3位に終わって、それに加えて変声期を迎えてこれまで通りの歌声が出なくなって「これからどうなっちゃうんだろう。自分の人生ってこれで終わりなのかな、、、」ってなってた聡実くんが、ヤクザっていう自分から最も遠く、その上真っ当な道から外れてしまっている存在と出会う中で、人生に希望を持つ話だと思った。

学生時代、特に義務教育の頃って学校・部活・勉強が自分の世界の全てで、それがうまくいかないと人生そのものがそこで終わりみたいに視野が狭くなっちゃいがちだと思う。自分のかつてそうだった気がする。そんな状態の聡実くんもヤクザっていう未知の存在と出会って、「グレたからってわけじゃなくて、人生の巡り合わせの中でたまたまヤクザという職業に辿り着く人もいる」「ヤクザにも優しい人はいる」「ヤクザも歌うを歌う」ということを知ることによって、視野が広がって、「いろんな人がいるんだから、自分もどうなったって大丈夫なんだ」って思えるようになったんじゃないかなと思う。でも、クスリの常習で狂い切った人も出すことで「流石にここまでになったらだめだよ」っていうフォローもなされててよかった。

これまで通りのことが出来なくなっても大丈夫だし、中学最後の合唱大会に出られなくても大丈夫。

人に教えることがいちばんの学びになるみたいなことって聞いたことあるけど、聡実くんも狂児に歌を教えることでこれまでの自分の学び、歌と向き合ってきた経験というのを振り返って、「こんだけ頑張ってきたものがあるんだから、これからも大丈夫かもしれない」って思えたのかもしれない。

「歌が上手い」という自分が努力して掴んだ実力の部分を評価してくれる狂児の前だと、合唱部部長とか中学生とか息子とかの外部から与えられる役割から逃れられて気が楽だったとかもあるかも。映画部に居る時も同じかもしれない。

映画部の(最初からあった)ビデオデッキが巻き戻せない(と思いこんでいた)っていうのが、青春というのが今この瞬間しか存在しない(と思い込んでしまう)ということのモチーフになってたりする?考えすぎ???学生時代に失敗しても全然取り返しつくよね。大丈夫だよね。

合唱部の中学生とヤクザ(達)が真剣にカラオケすると言う面白さはずーっとあって、しかもその面白さのバリエーションがいくつもあって、設定の面白さ・楽しさが新鮮な状態で保たれてたのがとても良かった。
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