Ryoma

野いちごのRyomaのレビュー・感想・評価

野いちご(1957年製作の映画)
4.3
物語の構造とテーマは『市民ケーン』そっくり。富や名声を得ても、やはり孤独は孤独。老人になっても過去の…それも幼年時代の…ほろ苦い記憶がつき纏い、錆びついた心の一番柔らかい部分をギュッとする。なんとも切ない感じ。ともすれば野いちごの酸っぱい感じ。そんな一人の老人の人生を、『市民ケーン』は、めちゃくちゃ曲芸的な手捌きで切断し、分解し、再構築してた。ほんで二時間の映画に纏め上げてた。ここは『野いちご』も一緒です。だけど違うのは、『市民ケーン』が客観で(できるだけ歪曲することなく)主人公の全人生を…まるで歴史劇のように…物語ろうとしていたのに対して、『野いちご』はもうめちゃくちゃに主観、主観で歪められた夢の世界で人生を、語ろうとする。だから人生の断片の、ごく一部しか語られない。どの断片も苦く痛いけれども些細な、きわめて些細な記憶である。そんな断片が執拗に、夢と現の境目で混じり合いながら、粘土をこねるように変容して、反復される。これは完全に強迫観念の原理である。しかしこういう視野の狭い語り方でも、『野いちご』は、人生の(ほとんど)全てを語っているように思える『市民ケーン』と比べても…もちろんどちらもヤバいので単に比べられないけれども…本当の意味での“人生”を語っているな、と思った。つまりは人間の人生なんて、マジで徹底的に主観で歪められたものであって、どこまでいっても強迫観念なのよ、と。もちろん僕は存在としての“無意識”を知っている“現代人”なので、どちらかといえば、『市民ケーン』のナラティブよりも、『野いちご』のナラティブの方に、より胸を打たれるかもしれんわなぁとも…思ったわな。
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