スカポンタンバイク

福田村事件のスカポンタンバイクのレビュー・感想・評価

福田村事件(2023年製作の映画)
5.0
先にどうでもいい話。
9月1日は私の誕生日。この映画には物凄い運命を感じました。

これはもう、なんと思ったらいいのか分からない。ただ、一つ言えるのは、絶対観るべき映画という事。

私は、人間の醜悪さ、相手の足元を見る姿勢、噂好き、後ろ盾のある正義の強さというものは永井豪の「デビルマン」から教わった。人間というのは理由があれば、どこまでも身内に優しくなれるし、外部に残酷になれる生き物なのだと。
しかし、それは決して寓意や空想ではないのだとこの映画は教えてくれた。最後の惨劇は本当に「デビルマン」の悪魔・魔女狩り並に酷い。「信仰」という言葉を使うと宗教と関連づけられて考えがちだが、グループというものの全てにそれはある。人類、日本人、村、グループLINEとか、括るサイズが違うだけで、そのグループを括るものというのは、友情、仁義、絆、血、契約といったものに名を変えた「信仰」だと思う。そこで一番危険なのは、その「信仰」と自身を同一化してるタイプの人であり、今作の福田村の人たちは正に「日本国」というグループに同一化した日本人だったわけだ。信仰というのは解釈の余地があるもので、今回であれば「国のため」「村を守るため」という信仰を「朝鮮人を殺す」と解釈している。しかもそれはお上からの後ろ盾もあるときたもんだ。この信仰を遂行する上で「人殺しは良くない」なんて倫理観など介入してはこない。何故なら、あの場にいた信仰と同一化した人間というのは、人間ではなく信仰そのものだからだ。
そう考えると、井浦新が朝鮮にいた時に起こった教会のエピソードというのは、非常に象徴的だと思うし、正にグループ至上主義にとっての外部への視線が最も悪い形で現れたエピソードと言える。
色々書いてきたが、何よりも、とにかく映画として面白くというか、良くできているというのが非常に魅力的である。村の生活や人間関係、殺戮のどれをとっても生々しく現実感に溢れている。一つ特に驚いたのは、松浦裕也と東出昌大の会話で「普段いじめられてるから〜」というのがあり、「あ、凄い。日本人が朝鮮人をいじめてるって自覚はあるんだ」と。自覚はあっても別に変だと思っていない。凄えなと思った。先に「人殺しは良くない」という倫理観の話をしたが、大抵の人にとってそれは流行りものの一種でしかないのだと思う。現代で言えば「ポリコレ」がそうだと思うが、正にその理想主義な倫理観への否定が大きくなっているのを見ていると、この映画の社会主義への恐怖と弾圧が再来しているような怖さも覚える。
ドキュメンタリー監督の森達也の初ドラマ映画という事で少し不安もあったのだが、いやいや上手いのなんの。次回以降もドキュメンタリーと1本ずつ交代でフィクションもやってほしい。今度は是非とも大きい劇場でもかかってくれたら嬉しいなぁと思う。