netfilms

正欲のnetfilmsのレビュー・感想・評価

正欲(2023年製作の映画)
4.2
 冒頭の佐々木佳道(磯村勇斗)の注いだコップのように、危険水域に達した者の境地というのは当事者にしかわからない。コップに注がれた水が全編を覆う水のメタファーもやはり、普通の一般人には到底わからないフェティシズムの世界ながら、その段階に突入してもなお、そこには幾つものレイヤーが存在する。何かしらの生きづらさを感じていない人などこの世にいるのだろうか?広島・福山のショッピングモールで契約社員として働いている桐生夏月(新垣結衣)は実家暮らしで、ここではないどこかへと自分を連れ去ってくれる白馬の王子様を探しながらも、今の自分の運命をひたすら呪い続ける。学園祭の実行委員の神戸八重子(東野絢香)はかつての些細なトラウマから男性恐怖症を発症しているが、ダンスサークルに所属する諸橋大也(佐藤寛太)に密かに恋心を抱いている。大也もまた、LGBTQIA+の苦しみにひたすら自分を晒していた。一方で従来の家父長制を象徴するキャラクターとして横浜市在住の検事・寺井啓喜(稲垣吾郎)が登場するのだが彼もまた、皮肉にもステレオタイプな規範に縛られ身動きが取れなくなっている。

 『桐島、部活やめるってよ』『何者』などを手がけた作家・朝井リョウ原作の物語は、多様性やダイバーシティの呪縛に囚われた5人の群像劇である。昭和から平成、そして令和へと時代が移り変わり、社会情勢も価値観も性差も何もかもが国際的にボーダレスに瓦解していく中で人間の価値観は文字通り、十人十色になりつつある。親兄弟や友人と言えども、個人の自由を社会の規範とやらで雁字搦めに出来る時代などとうに終わっている。SNSで地球の裏側に住む人たちの価値観ですら可視化される現代では、中学高校にウマが合う人々がいなくたって勇気付けられる。親は子供を縛る事など出来ない。それでもこの薄汚れた社会の中では普通のレールに乗っかった方が遥かに楽だろう。然し乍らそんなことはわかっていても、レールを逸脱してしまう人間もこの世界には紛れもなく存在する。SNS上の緩い繋がりや応答は真っ先に岩井俊二を思い出したし、ある意味『キリエのうた』とも親和性が感じられる。一番痛々しかったのは性自認のない夏月と佳道がSEXごっこをする場面で、思わず涙腺が緩んだ。私にとっては寺井を論破した場面以上にあの場面は苛烈を極めた。
netfilms

netfilms