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正欲のKHのレビュー・感想・評価

正欲(2023年製作の映画)
3.9
2024年の年間ノルマ70本中15作品目。
見させて頂きました。

先日、割と映画のことを話す友達(俺が勝手に話してるだけかも)とコレ見たアレ見た‼︎と話してる流れで
『面白い邦画のタイトルは短い』という持論を展開して盛り上がる中、
今作の配信がNetflixで公開されるのを予めクリップしてあったので、
少しだけ話題になりました。

また、友人は小説版を履修しており、もし彼が映画を見た際は、小説版との変更点や、カットされてる部分なんかを補完できればと思います。

ので、内容に関しては全くわかっておりません。ガッキーと稲垣吾郎が出てると言うことぐらいしか。

なのでまずはネタバレなしの率直な感想をば述べたいと思います。

『個人的に最近見た邦画の中では抜群に脳内偏差値高めの作品だった様に思います。

一概にこの作品を『ヘイヘイ多様性多様性‼︎』
と流行りの言葉を覚えたての様に咀嚼して飲み込む訳にもいかず、
見終わった後しばらくじっと内容を反芻して考えておりました。
なので、正直な話。見終わった直後には

『これはつまりどう言う作品だったのだろう?』

という答えになかなか辿り付かずに、小説版の事ではどうだったのだろうと言う事が気になったりもしました。

ただ、間違いなく面白いと言うか、この作品のことに考えを巡らしている時間というのが楽しいと感じると言うことは、なんとなくすごい作品なのではと感じているわけで、
さらに言えば、久々のガッキーというか
逃げ恥ぶりのガッキーのお芝居。
特にまた久々に見たのに随分と変わった役というか、大変な役だなぁという部分を完全にやりきってるのは改めて日本を代表する女優の一角だなぁと思わせてくれる芝居は流石です。綺麗なだけではないんだなぁ。
本当にすごいです。
またやはり稲垣吾郎の存在感はやはり流石でした。ジャニーズではあり得ない役とかも過去には割とあったし、そこはむしろ期待してましたけど、
また、作品の答えみたいな部分に関してはこの後のネタバレで語ります。』


というわけでここから先は作品のネタバレありの感想になりますので、まだ見てない方はご注意を、


まず、僕が作品を見るに辺り、脳内偏差値を急激に上げる必要性を感じたシーンとして、
新垣結衣こと、桐生が1人で回転寿司屋で夕食を食べているシーンにあります。

これはお芝居がどうこうというよりは、その演出が気になり印象として残っております。

『1人で回転寿司屋に来る』と言うことは果たしてどう言う意味合いを持っているのだろう?と言うことを考える必要があったからです。ファミレスでもない、居酒屋でもない、
寿司屋です。それはなんとなくそうしている訳ではなく、絶対に回転寿司じゃなければならなかったと僕は考えます。

とはいっても、僕は魚介類がダメなのでそもそも寿司屋というものにあまり縁がないのでこれはあくまでも想像ですが、
昔僕の読んでいた小説に

『大きなカステラを1人で食べるというのは孤独の極み』という話がありました。
つまりここのシーンは本来なんでも良い食事のシーンでも回転寿司という一種のエンタメの場に1人で来るというのが大事であり、
より孤独感というか、世界からの疎外感みたいなのを演出するのにはもってこいの設定だった様に思います。
こういった説明のないシーンに対して、
『1人で回転寿司を食べると言うのが、つまりどう言う事なのか?そこを考えてください。自ずとわかりますよね?』と言われている気がするシーンであり、僕の中でギアが一つ上がった様に思います。
本当たまりませんよねこう言う演出は、

また、桐生と佐々木の2人は水フェチであり
それがいかに他人と違うかに悩んでいるのだが、
そこの表現として
『地球に留学しているような感覚』的な発言がありました。個人的にこの言葉を聞いた時に少しだけ腑に落ちたと言うか、
人の見た目をした宇宙人として見たらどうか?という事で結論に至った様に思います。

つまり、地球人とは決定的に違う相容れない何かが確実に2人と世界では存在しており、
自分たちがいかに害のない宇宙人とは言っても『でも宇宙人には変わりない』と認識されるだけであり、

加えて、逮捕のきっかけとなったパーティーメンバーの1人は小児性愛者で、実際に少年に危害を加えていたり、または映像に残してしまっている。

つまり宇宙人のグループの中に1人、人間を食べる宇宙人が混ざっているだけで、
宇宙人は危険になってしまうのだ。

仮に自分たちがいかに危険のない宇宙人だと語ったところで、稲垣吾郎こと寺井は
そう言う意味では人間であり、子を持つ親としては自分の家族に宇宙人を近づけたくないと感じるのは自然だと思う。

しかし、この作品の所謂普通の人。特殊な性癖のない人物として描かれる寺井はどう見えるかと言われれば、他人の話をろくに聞かないし思考しない自尊心の固まりというか、
歯車からズレることに極端に嫌悪する存在として視聴者から見たら冷たく映る印象がある。

結果としてラストでは夫婦の関係は現在調停中であり、そこには会話よりも分かり合えていない事実がある事が窺える。

しかしながら、今目の前にいる桐生という女性は宇宙人である佐々木を真に理解しており、その上で彼の元からはいなくならないと公言しているのだ。

その理由がどうして自分にはわからないのだろうという寺井の表情というか、取調室から置いてかれる様な映像でエンディングとなりました。

仮にセクシャルマイノリティの人が目の前にいたら寺井はどう思っただろうか?
『子孫を残す』という生命の本質から外れてそれでも明日を生きようとする生き物はさぞ、自分たちとは違う生命体に感じてしまうのだろうか?
では同じノーマルな人間同士なら必ず分かち合えると言えるのか?

この世に変わった性癖は数あれど、それがなんだというんだ。だからと言って、ノーマルがアブノーマルを迫害して良いなんて事にはならないし、そんな思考のお前はきっとアブノーマルだと言われている様な。
むしろ問われているのはそこなのか?と思いたくなりました。

ここではあえて水フェチという表現をしているだけで、ここに関しては何に置き換えても良い気はします。もちろん犯罪はダメだけど、
つまりは他人と違う事で生きるのに苦悩している人物と、そのほかの世界のお話。

最近日本にも移民問題みたいなクルド人云々みたいな事件がありますが、
彼らも同じだと思います。

我々は一人一人を個別として捉えてるのではなく、人種や、国で人を当て嵌めてしまい。
例えば、刺青が入ってる人は温泉禁止。
みたいなもんで、

別に刺青が入ってる人全てが反社会的勢力ではないと思っているけど、思考する事が大変だからかなんなのか、そういう風習だからという曖昧な理由でそれを断罪してしまったりしております。
タバコなんかもそうで、吸っているというだけで平気で迫害しようとしている考えの人はいますし、
どこかでいつか見た研究結果をさも自分で見てきたかの様に掲げて罵ってくる人もいます。

刺青が入ってる人、タバコを吸ってる人からしたら彼らとは上手い具合に関わらない様にやり過ごすしかなく、見つからない様に生きなければならないという部分ではこの作品と通じる点かなと感じたりしました。

ものすごく大事だけど、あまり触れない様な問題をテーマにして投げかけている良い作品だなと感じます。それらを体当たりで演じている役者陣は素晴らしいですし、

今回語れなかった神戸、大也の2人も本当に難しい芝居をやっていたなぁと思います。
特にラストの大也の表情が印象的でした。
この、話してもわからないやつに話さなければならない絶望的な表情というか、諦めの顔というか、またか。みたいな顔がなんとも言えませんでしたね。

とまぁ今回は長くなってしまったのでこの辺にします。あくまでも妄想です。
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