しの

理想郷のしののレビュー・感想・評価

理想郷(2022年製作の映画)
3.8
隣人トラブルものスリラーだが、対立している登場人物全員の気持ちがここまで分かってしまうのは新鮮だった。スリラーとはいえジャンプスケア的な演出ではなく、「向こうからアイツがやおら近づいてきて……あれなんかマズいかも」みたいな恐怖を体感させるのがうまい。それはつまり他者を怪物として描いていないということだ。

隣人役の兄弟は確かに悪人顔で感じ悪いのだが、しかし田舎の村に束縛された可哀想な奴らでもあって、彼らは彼らで必死に生きる術を考えているということが見えてくる。なんなら彼らの方こそ主人公サイドを恐れているのがどんどん伝わってくる。ガタイのいいドゥニ・メノーシェをキャスティングした意図が明快だ。よく考えれば彼ら目線でもだいぶ怖いはずだ。

もっといえば、観客の視点は主人公サイドに置かれてはいるものの、彼は彼でだいぶ我が強そうだと思えてくる。というのも、基本的にコミュニケーションのとりかたが啓蒙主義なのだ。これは自分も常々感じてることだが、どんな正論でも伝え方がまずいと意味をなさない。そもそも、人間って合理だけではないのだ。

ラスト1/3で、この「人間って合理だけではない」ということを今度は主人公サイドにおいて体感させてしまう展開がまたすごい。これが同時に、前半における「なんかコイツはコイツで我が強いな」という体感の裏付けにもなっていく。このラスト1/3のパートは意図的にトーンを変えていて、正直やや冗長に感じなくもなかったが、終盤で隣人(弟)がある人物に向けられる目線が前半で明かされた可哀想なエピソードの再来になっていたり、その人物の目線で見ると身内までもが不気味な「他者」に見えたりして、油断ならない構造になっている。そもそも合理か非合理かなんて視点によって全く変わるし、綺麗に割り切れないのだということが作品の構造をもって示されているのだ。

このように、「どちらが合理的か?」みたいな問いは風力発電云々の話とともに消失してしまう。最終的には、むしろそういう合理の世界観を捨てたところではじめて共有できる景色というものもあるのではないか……という話に着地する。そして本作の場合、それが最も皮肉な形で達成されてしまうのだ。こうして村の一員になりました、チャンチャン。理想郷というタイトルとともに、落語のようなオチがズシンとくる。

そして改めて思ったことだが、本作で描かれている「真に甘い蜜を吸っている奴らには目が行かず、“手ごろに批判できる目の前の他者”同士で不毛な戦いが発生してしまう」という状況は、やはり全く他人事ではないよなと思う。SNSなんかもそういう「手ごろな他者」を見つけるのにうってつけだし、「意味のない啓蒙主義」をしてる人もたくさんいるわけだし……。反面教師にしたい。
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