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ミッシングのしののレビュー・感想・評価

ミッシング(2024年製作の映画)
4.1
これは明確に「温度差」の話だと思う。冒頭から主人公が取材陣や夫に毒づくように、どんなに辛いことがあっても、それを他人が自分と同じだけの温度で感じてくれるわけではない。どう足掻いても人は人にとって他人事なのだから。しかし本作はそこに善悪を持ち込まない。だから信頼できる。

この、いわば“他人事世界観”というものを、それ自体は善でも悪でもないものとしてフラットに描いている。それはある瞬間のある人にとっては大変な断絶を与えるし、一方で別の観点ではむしろその人の生を支えるものでもある。これぞ𠮷田恵輔的な光の提示の仕方だ。しかし今回はそこを突き詰めたなと思う。

事件の関係者、その周囲の人々、それを取材するメディア、その視聴者……という順に当事者性が薄れていくように思えるが、実際はそんな距離感に関係なく、温度差があるという点では等価なのだ、ということを徹底して、しかし皮肉や露悪に陥らないギリギリのバランスで描くのが巧みだ。

たとえば夫なんて、側から見れば当事者中の当事者だと思うが、彼ですら妻との間に温度差がある。見ていてなんでコイツそんな余裕そうなんだと思う瞬間があるし、しかし彼は彼の悲しみを抱えて、彼なりに最善を尽くしていることも分かる。それでもどうしたって妻を客観的に見てしまう部分はあるわけだ。

一方、マスコミは「他人事だからこそ成立する」ものとして描かれている。砂田は事実をフラットに報道しようとするわけだが、しかしそれは自身から当事者性を排するということであり、対象に寄り添えないということの裏返しでもある。だから主人公は傷つくのだし、同時に縋る対象にもなる。もっといえば、この「事実をフラットに報道する」ことすら善悪で規定できない作りになっている。対象を撮影して大衆に見せる時点で、どう足掻いても見世物性を帯びてしまう構造があるからだ。視聴率との板挟みに悩む、みたいな描写もあるが、それもあくまでメディアの他人事性という原罪の延長上の話でしかない。

ネットの誹謗中傷に関する描写も凄くて、よくある「当事者を傷つける顔の見えない第三者たち」みたいな構図にしない。たとえば、誹謗中傷に傷ついた主人公がその直後に弟にすることは何だったか。つまり、当事者だろうが何だろうが、他人事世界観のなかで発生する現象としてこれも等価に描いているのだ。

さらにいえば、本作が𠮷田恵輔作品の中でも鋭い切れ味を有する理由として、観客の我々をも巻き込んでくる構造がある。たとえば、誕生日祝いの映像がテレビで流れる瞬間の居心地悪さったらない。「うわ、自分も今まさにこれを他人事として見てる」と自覚させられるのだ。本作にはこういう瞬間が随所にあって、そこで大きな効果を担っているのがこの監督恒例の「地獄みたいな状況下でのユーモア」だ。今回はそれが作品の軸である「他人事世界観」のなかに位置づけられているので、体験として強烈なものになっている。白眉はロングインタビュー中にカメラマンがボソッと呟くあの一言だろう。「うわ、それ自分も思ってた」とこちらまで巻き込む感じ。しかしここで何より重要なのは、こういう瞬間を作為的な皮肉や冷笑や露悪に陥らないバランスで提示できているということだと思う。「所詮みんな面白がってるだけ」みたいな厭世観ではなく、あくまでカメラマンは彼の仕事を全うしているだけであって、そこに善悪は持ち込まれない。一貫している。

ここでは石原さとみの演技もまた絶妙なバランスで機能している。要は「本当に現実にいそうな過剰さ」なのだ。これもカリカチュアライズではないというのが重要で、だからこそ、起こっていることはとんでもなく辛いことなのに見ているこちらは引いてしまう瞬間(=温度差)というのが生まれるのだ。

このように、本作自体が意識的に「この映画を俯瞰してる観客」を巻き込む映画なので、お得意のユーモア含めいろんな仕掛けも比較的受け入れられたが、たとえば前作『神は見返りを求める』とかは自分は露骨さを感じたし、この辺のバランスは人によって許容度が変わるとは思う。ただ、個人的に本作がフィルモグラフィの中でも特異だなと思ったのは、これまでの𠮷田恵輔作品の手口を自己批判する構造にもなっているということだ。ある意味、「露骨な」味付けをするということ自体が作品に組み込まれている。テレビで放送された映像を見せてくるあたりとか、だいぶ自覚的だと思う。つまり、出来事自体はたいへん悲痛だし、寄り添いたいなと思うのだが、上記のようなブラックすぎるユーモアや石原さとみの過剰めな芝居などによって、そういう感情移入や没入や共感から観客が切断されて(端的に言うと「引いて」)しまう……という体験にすごく意味がある。だから自分は逆に見やすかった。たとえば、商店街のど真ん中でトラブってる男女を画面の真ん中に配置する演出とか、自分は普通だったら作為的すぎて没入が削がれると思うんだけど、こと本作に限っては、この映画自体が砂田の取材の延長上にあるものでもある……という前提があるから、むしろその「露骨な演出」感が効いていると感じた。

こうして本作は「他人事」の摂理を、劇中の様々な立場の登場人物たちと観客とを連続的かつ等価に配置することで体験させてくる。しかし繰り返すが、それ自体は善でも悪でもない。たとえば劇中で言及されるように、主人公夫婦が本当に同じ温度感だったら、そもそも夫婦として破綻してしまうだろう。また前述の通り、マスコミもまさにあらゆる事象を「他人事」として等価に捉えるからこそ、それを情報として多くの人に報道することができる。

そもそも世界のあらゆる事象を全て自分事として捉えるなんてことをしていたら人は生きていけない。劇中で別の事件の顛末が一瞬挿入されるという演出は、まさにそのことを示唆している。考えてみればこの物語は、これ以上に悲惨になるルートがいくらでもあったはずだ。たとえばそれこそ夫婦が破綻してしまうとか、姉の行動をキッカケに弟が自死してしまうとか。しかしそうならないのは、各々が他人事の一線を引いて自分を守ったからではないのか。斯様に他人事の是非は、どこの側面を見るか次第なのだ。

その意味で、弟が路肩に車を停めるくだりは素晴らしかった。というのも、弟があの行動に至った直接的な契機はなにもないからだ。ただ色々なことがあって、それでも生きていたからこそ、ふとあの行動に至ったのだろう。しかもそれが何かを解決するわけでもない。「人は敵にも味方にも分かれない」ということが分かるだけだ。これは冒頭で主人公が叫ぶ「(敵か味方か)どっちかに決めてよ!」という世界認識と対比される。

そして、終盤の展開はまさにそれを象徴しているだろう。主人公は他人事だからこそ、あの事件に対する「心配」より「娘が助かるかも」が先に来て行動できた。しかしその結果、もはや他人事(敵)/自分事(味方)の二項対立は消失するのである。つまりここで主人公は、娘を失った悲しみという「自分事」とはまた別の何かに一瞬でも心を向けたということだ。もちろん、それは何かを解決するわけではないけども、しかしそういうことの積み重ねで人は生きていくしかない。

たとえば弟との和解が救いになるとか、夫婦で再生の道を見つけるとか、そういう“エモい”話にならない。『空白』と同じく主人公が娘を失う物語だが、今回はなまじ「0でない」生存可能性があるぶん、折り合いのつかなさの種類が違うのだ。おそらく永遠に納得なんてできないし、誰かが何かしたところでどうにかなる話でもない。人生にはこのように永遠に折り合いのつかない問題というのがあって、その過程で人は人の「他人事」性によって傷つけ合ったりするのだが、しかし「他人事」だからこそ寄り添えることもある。その先にもし救いがあるとしたら、それは誰かによる救いではなく、自分自身による救いなのだ。誠実な着地だと思う。

だから自分はあのラストカットは見事だと思った。確かに状況は何も変わらない。でも主人公は、「失踪した娘」の象徴だったその動作を、娘を想うときにふと出てくる動作として捉えられるようになっている。いわば、主人公自身が自分の中に「他人事」性を見出せる余地が生まれたのである。

そしてここまでで観客は、劇中のテレビでは放送されない「自分事」にドキュメンタリックな撮影で接近しつつ、しかしそれを「他人事」として眺めていると自覚させられ、かといって客観に振り切った風刺劇にも見えず……という体験をする。劇中人物と同様、温度差のグラデーションの中に置かれるのだし、その上で観客は最後まで主人公に直接的な救いをもたらすことはできない。でもいつか彼女が彼女自身を救うその時まで、彼女が生きる世界を構成する一部として寄り添うことはできる。同じ温度にはなれないけど、世界を少しあたたかい場所にしようとすることはできる。

その意味で、これは完全な他人事にも完全な自分事にもなりきらない「映画」という鑑賞体験で味わう意義のある作品だったと思う。やはり𠮷田恵輔監督の考える「希望」は、自分の世界観にすごくマッチする。前提としてみんな他人事だし、世界は自分を中心に回らない。でもだからこそ、人は人にある瞬間だけでも寄り添ったり、興味を持ったりして生きていくしかないはずで、逆にいえばそうやって生きていけるはずなんだと。しかも今回は観客をも巻き込む構造が明確にあるので、体験としていつもと違う強固さがあった。皮肉でも風刺でもない、悲劇でも喜劇でもない生の現実に希望を構築する体験として。人は人にとって他人事であるという前提が、「だから寄り添おう」に繋がる。ヘタに明快な解決を描くよりも、何倍も強固な希望だと思う。大事な一本になった。

※感想ラジオ
『ミッシング』石原さとみのパニック演技に脱帽!他人事だらけの世界の希望とは【ネタバレ感想】 https://youtu.be/xJYl5Hx62mQ?si=jRve2ReKahTcr8zI
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