doji

怪物のdojiのネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

クィア・パルム受賞を疑問視する声をたまたまtwitterで見かけていて、気になったのでどのようなことが言われているのかを先に読んでいた。すぐにはその真意はわからなかったし、映画を観終わったあとのとても強いこころの揺さぶりのなかではあたまもはたらかなかったのだけれど、時間をかけてゆっくりと咀嚼が進んだときに思ったのは、まさに映画を観ながら痛みとともに感じた気持ちそのもので、「こんなのあんまりじゃないか」ということだった。

映画としてかなりの一級品なのは否定のしようがなく、藪の中形式でものがたりが進むことがわかってからは、この型を最大限に発揮する演出と編集には唸るほかなかった。そしてそれは理解のできない他者を「怪物」としてイメージを肥大化させてしまうことの恐ろしさ、「怪物」と口にしたときに発生する加害性が自らをも「怪物」にしてしまうことを表現する上では、この上なく威力を持つ形式だと思った。

けれどもそのなかのひとつとしてクィアであることを描き、そしてそれを11歳の子どもたちという、じぶんたちのちからではどうすることもできないものたちが傷つき、そして最後に死を仄めかすストーリーは、あまりに残酷すぎないだろうか。無意識の加害性や差別意識を観客側に自覚させるのには充分なのかもしれないけれど、じぶんの性に対して肯定的になれなかったことが社会の中での居心地の悪さと少なからぬ排除にもつながった経験があるすべてひとにとって、ラストにかけての描写がもつ暴力性の高さは、受け止めることが難しいように思う。時間が経つことでここで描かれたことの意義や波及効果がポジティブな意味を持つことになるのかもしれないけれど、いまは土砂が崩れ落ちる音に震えながら、傷ついたことを思い返してしまっている。
doji

doji