マチュー

君たちはどう生きるかのマチューのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.5
まずは、とにかくたいへん面白い映画だったので★4を進呈する。
0.5は駿の次回作に期待しておまけだ。
(どうせまた何か作るんだろ!)

僕は青サギがどんどんキモくなっていくところで、これは面白くなると予感した。
そして木刀が砕かれ、マヒトくんが弓矢を自作するあたりで確信になった。
誘導ミサイルのように飛ぶ矢!そのあたりで童心に帰った。
思えば、『君たちはどう生きるか』は完全に“子ども向け映画”に振り切った作品だった。だから、童心に帰れてよかった。

ようするに、古今の冒険小説をツギハギしたかのような胸踊る映画を、僕はすっかり子どもになって楽しんでしまい、どこかのシーンでは涙ぐみさえしたのである。

そう、子ども向け映画だ。
そもそも我々、というのはつまりこんな映画レビューサイトでしこしこ自己顕示欲の発露を楽しんでいるような大人の我々は、とっくに『君たちはどう生きるか』の対象年齢を外れているのだ。

駿は我々のほうを向いていない。
子どもたちに向かって、あるいは童心に帰って映画を観れる大人に向かって……いや、どうだろう……。

だって大人の目で見たら、これは出鱈目で、さっぱりワケワカメな映画である。

キャラクターの数が多すぎるし、唐突に出てきては唐突に消えすぎる。
それぞれのアクションの数が多すぎる。
そして、すべてが意味ありげに見える。

たとえばインコの大王なんて、ありゃ何だ、伏線も何もなく、いったいどこから出てきたのだ。
「我を学ぶものは死ぬ」という標語は何だ。アウシュビッツの暗喩か?

我々がこのろくでもない現実の世界で息も絶え絶えになりながら知った論理や倫理に当てはめて「意味」を求め、映画のシーンのひとつひとつをつかまえて「読み解く」なんてことをし始めたら、この圧倒的に意味不明で豊穣な映像の奔流に置いていかれて余計にわからなくなる。

と、このへんでパッとひらめいた!

『君たちはどう生きるか』は、「世界少年少女名作文学」の全集を片っ端から拾い読みして、各作品の断片がごった煮になった悪夢を見た、かつての僕のような子どものために撮られた映画だ。
今まさに、電気が走ったみたいにそう思った!

「君たちはどう生きるか」という言葉の裏で、駿はこう聞きたかったのだ。
「君たちはどんな夢を見るのか(俺はこんな夢を見るけど)」


思えば、映画でマヒトくんが迷い込むのは、ひと夜の夢のように、外に出たら忘れてしまう世界。
目が覚めれば「僕らが東京に帰る日が来た」というそっけないつぶやきで締めくくるしかないつまらない現実とは異なる、豊穣な夢の世界だ。

ヒロイックでファンタジックな、そして絶妙にノスタルジックな、ページをひとつめくれば思いがけない展開が起き、隙あらば妙に説教くさく、甘く腐りかけた古紙のニオイがそこはかとなく漂う……しかし、ひとたび大人になってしまえば、何となく身になったような、ならないような……。

それは、あまりにも、あのころ読んだ「世界少年少女名作文学」の作品たちに似ている。
「巌窟王」とか「紅はこべ」とか「ビーチャの学校生活」とか、「宝島」とか「十五少年漂流記」とか、タイトルだけはかろうじて覚えているけれども、内容はほとんど覚えていない。
エドモン・ダンテスやビーチャや、15人の少年たちは、最後にどうなるんだっけ?
それなりに夢中で、その間はその世界しか存在しないみたいに思って読んでいたのに、今や覚えてない。
まるで、起きたら忘れる夢みたいに。


たとえば、唐突に登場してワラワラごとペリカンを虐殺するヒロインのヒミが、マヒトくんと同世代だった頃のお母さんだというのも、何だか「世界少年少女名作文学」っぽいではないか。
肛門期的な、というか、性を自覚する以前の何となくムズムズする感じというか。

仲の良い少年と少女が出てきても設定を工夫して性を押し隠す……ものの、性を禁忌として扱うからこそ妙にその存在が意識されてムズムズしちゃうというのは、「世界少年少女名作文学」の読者だった子どもたちの(男の子たちの?)共通認識ではなかろうか。


僕の感想をひとことでいえば、
(上に書いたことをあらためてまとめると、)

『君たちはどう生きるか』は、「世界少年少女名作文学」を濫読する少年少女のとりとめのない夢を映画化した作品である。
そのひとりだったであろう宮崎駿の。
あるいは僕の。
もしかしたらあなたの。

決して突飛な発想ではないはずだ。
何しろ映画の主な舞台は、本にまみれた屋敷のなかにある夢の(あるいは悪夢の)世界である。

マヒトくんが屋敷に侵入するとき、背後でバラバラと何冊もの本が散らばる。
また、
「下」に落ちる前、不気味で不快な青サギと対決するマヒトくんを取り巻くのは、ぎっしりと本が詰め込まれた、そびえ立つ本棚である。

あらゆる本がある。
自然科学も哲学も、歴史学も数学も文学も物理学も、そして読んだそばから少年少女に内容を忘れられる、あの「世界少年少女名作文学」の全集だってあるだろう。

そこは、ありとあらゆる本のページが雑多にめくられる夢への入口で、そういう夢を少年の頃、僕や駿や、もしかしたらあなたはみたことがあるのだ。

というわけで、僕にとってはこの映画、とても懐かしく、たいへん面白かったのです。


ちなみに僕は、指で本のページをめくったり、風でページがパラパラめくれるのを見たり、『気狂いピエロ』の最初のシーンでベルモンドが画家ベラスケスについて書いた本を風呂場で読んでるシーンを見たりした時に快感を覚える性癖を持っています。
もしかしたら本を読むよりも、本という物体に愛着を持っているのかもしれない。

そんな僕には、マヒトくんが机のものをバラバラ床に落として、お母さんのメッセージが書かれた「君たちはどう生きるか」を見つけて拾い上げ、ページを指で撫で、ゆっくりとページをめくって活字に目を這わせ、やがて涙するというあの一連のシーンが、見ていてとても快かった。
このシーンだけで、映画を観た価値はあったかもしれんと思ったほどでした。
というわけで、
お わ り
マチュー

マチュー