このレビューはネタバレを含みます
この映画に、「一筋の光が…」とか何とか、のんきに希望を見出している人がチラホラ見られることに驚く。
ほんとうにのんきだ。
この映画に描かれた我々の世界の、どこに希望があったか。
映画のラスト。
光あふれる世界に駆けていく少年たちの姿を、その光を完璧にコントロールしてとらえた近藤龍人の撮影に、また坂本龍一による不穏でしかも美しい音楽の調べに、そして何よりも全身でよろこびを表して走る少年たちの豊かな表情と体の躍動に、激しく心を揺さぶられて涙腺を刺激されながらも、僕はわりと鉛をのんだ気持ちだったのだが。
ある意味では、我々はあの少年たちに見捨てられたのではないか。
嵐の夜、みなと君は嬉々としてすべてを捨てて、より君のところへ走っていくのだ。
膨れにふくれた宇宙がついにはじけて時間が凄まじいスピードで逆回転し、世界が決定的に生まれ変わるその瞬間、より君と一緒に、ここではない新しい世界に旅立つために。
だって、今のこの世界は駄目なのではないか。いや多分もう駄目だ。
ありのままに、どんな種類の偏見にも晒されずに生きていける場所を、彼らは見出すことができなかった。
たとえば、まさしくこの映画が、能天気な大人たちによって「一筋の希望が見えた」などと感動ポルノ的に消費されるこの世界には、彼らが心から笑って駆けまわることのできる光あふれる野がない。
誰もが彼らにとって……いや、誰もが誰かにとって“怪物”になり得る価値観を築き上げてしまったこの世界は、もう駄目だ。
いみじくも田中裕子の校長先生が言ったみたいに、「みんなが享受できない幸せは、ほんとうは幸せとはいわない」ということなのだが、我々の世界はもう強固に“幸せ”のイメージを築き上げてしまった。
そして、我々の誰も、それを是正しようとしない。幸せの意味を見直そうとしない。
ただ彼らは、傲慢で能天気な目で見下ろされるだけだ。
そんな世界では、彼らは「自分こそが怪物なのではないか」と、絶えず残酷な問いを自身に対して刻みつけずにはいられない。そしてそれに耐えられなくなったら、ここから出ていくしかない。
この世界を見捨てていくしか、彼らがほんとうに救われることはできない。
映画では、瑛太がただひとり暗号を解くことに成功するけれども、「おまえは間違ってないぞ」という叫びがもう決して届かないのが悲痛だ。
どうするつもりだ、彼らはこうなってしまうじゃないか。
彼らをこういう道に追い込むことが、我々の社会がしたいことなのか。
いや、口ではおそらく「そうじゃない」と言うだろう。でも政治からバラエティ番組に至るまで、この国の価値観を決定づけているものはすべて、意識的にか無意識的にか相変わらずそのままじゃないか……。
監督と脚本家は、わりと真面目に怒っているのではないかと思って、僕は鉛をのんだ気分になった。
というわけで、傑作だ。
今このとき存在すべき映画である。
能天気な感想も含めて、Twitterや何かに毀誉褒貶が飛び交ったことも含めて歴史に残るべき映画だ。
近藤龍人のカメラは、ラストシーンに限らず全編を通して素晴らしく映画を引き締めているし、ここぞというところで使われる坂本龍一の音楽は、エンドクレジットを見た限りではわりと晩年の曲が使われていることもあってか、透徹した美しさに貫かれていた。
もちろん脚本も良い。俳優陣の熱演もあって、3パートでそれぞれの主人公と彼らを取り巻く世界を完璧に描いた手腕には震える。
ただまあ、いつもながら是枝の癖というか何というか、子どもたちがあまりに美しいのが、この映画では少し危ういところだと感じられないでもないけれど。