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ザ・キラーのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ザ・キラー(2023年製作の映画)
4.3
 冒頭がもう思いっきりアルフレッド・ヒッチコックの『裏窓』で泣けたのだが、この『裏窓』という映画はデヴィッド・フィンチャーのオールタイム・フェイヴァリットとして知られている1作だ。フランス・パリのホテルでは暗殺者(マイケル・ファスベンダー)が自動小銃のスコープから向かいのアパルトマンの富豪の部屋を逐一観察している。その様子は暗殺者の独白で始まり、最後まで一人称であることを止めない。ショート・スリーパーになってしまった人間の悲劇が殺し屋稼業だとすれば彼は常時、夢遊病に晒されている。極端に削ぎ落されたような男の表情があまりにも印象的で、喜怒哀楽の「喜び」の感情が残念ながら彼にはほとんど見られない。然しながら常に冷静で沈着に見えた主人公が初めて人を仕留め損なうことで一転し、組織に追われる羽目になる。というのが今作の大体のあらましで脚本自体は別段、特に新しくもない。然しながら今作の画面設計にはデヴィッド・フィンチャーの類まれなる審美眼が用意周到に張り巡らされており、ほとんど芸術的と言っていい。オレンジがかった光の中で蠢く暗殺者の孤独を、フィンチャーと近年タッグを組むエリック・メッサーシュミットも十分に熟知している。

 オープニングの『裏窓』からの螺旋階段。『サイコ』のようなシャワー室の音声は確かにスクリーンから聞こえて来るものの、一向に出て来ず、続くシークエンスでは鳥が蠢くように今作の前半はフィンチャーが敬愛するアルフレッド・ヒッチコックを模倣しながら、フロイト的な物語へと巧妙に観客をいざなう。今作にはフランスの作家Matzと画家リュック・ジャカモンによる漫画本という列記とした原作があり、主人公の逃亡の動線と物語の流れはほとんど脚色された形跡がないのだ。幾ら勝手知ったるナイン・インチ・ネイルズの盟友トレント・レズナーとはいえ、流石に主人公のお気に入りであるThe Smithsが全編に流れるのは心情的にどうかとも思うのだが、それ自体も原作の殺し屋の特徴としてバリバリ登場する。つまり今作においてデヴィッド・フィンチャーは殆ど原作を収奪および差配せず、そのものを活かす。一人称の物語として、殺し屋でありながら彼をシャーロック・ホームズのような名探偵にアレンジすることなど容易いはずなのだが捜査そのものが独白されず、なぜか彼の心の葛藤のみがアクション・パートにも克明に記される。ここにはたった今、殺される者と殺す者との細やかで病的なコミュニケーションが常に丁寧に素描される。それは裏家業に手を染めた彼らの哀しきバトンにも思えて来る。ティルダ・スウィントンとマイケル・ファスベンダーを切り返しで映すデヴィッド・フィンチャーの手癖に堂々たるアメリカ映画の風格を観た。近年稀に見る傑作。早くも早稲田松竹か池袋新文芸坐で、ポール・シュレイダーの『カード・カウンター』と2本立て公開を希望する。
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