原発の地域に生きる人々の本音が垣間見える作品である。
原発に関する我々の一般的な認識は、原発は効率よく発電できるシステムだが、天災地変などの原因でひとたび事故が起きてしまうと、放射能を放ちながら暴走し、制御のしようがなくなる。暗愚の宰相が言った「アンダーコントロール」は嘘っぱちで、今でも汚染水は溢れている。セシウム137の半減期は30年だが、物理的に1/10になるのは約100年、環境的な半減期は約200年と言われている。たれ流しの放射能が今後の地球にどのような悪影響を及ぼすことになるのか、想像もつかない。だいたいそんなところだ。
原発は多くの電力を供給するが、一方で大きな危険を孕んでいる訳だ。制御できない危険を犯すべきではないという考え方が世界の主流となって、ヨーロッパではドイツを筆頭に、再生可能エネルギーの開発に舵を切る国が多い。しかし日本では、原発を再稼働する方向だ。
原子力発電所は建物で原子炉は構造物だから、それぞれに耐用年数がある。原発の耐用年数が40年とされているのは、それ以上の期間の使用は原子炉の劣化に繋がり、原子炉が劣化すると熱に耐えきれなくなって、大きな危険が生じるからだ。
ところが岸田政権は、適切なメンテナンスをすれば40年を超えても使えるとして、原発の再開に向けて動き出している。危険を未来に先送りするやり方に疑問を呈する人もいるが、岸田文雄はお得意の「聞く力」を発揮して、アベシンゾーの言霊を聞いているようだ。この男の耳には批判の声は届かない。
本作品を観て驚いたことがある。原発の被害に遭った人は、戦争で被災した人々が戦争に反対するのと同じように、原発反対だと思いこんでいた。しかし一部の人々の本音は、そうでもないことがわかったのだ。
原発の建設は地域に雇用や土地の買収といった経済効果をもたらす。そこで地域の人はこう考える。原発はたしかに危険だ。しかし事故はめったに起きない。それよりも地域が潤う方がいい。若い人は戻ってくるし、子供が出来れば学校も出来る。未来につながる活性化だ。
こういった幻想を抱くのは、ある意味仕方のないことである。誰でも人類の未来よりも自分の未来が大事だ。いまの生活が苦しいのに未来の地球のことを考えろといっても無理がある。それに、原子力発電所というのは、そういった幻想を抱かせるほど巨大なプロジェクトなのである。政官財学、それにマスコミが一緒になって、原子力ムラを構成し、地域住民に金と夢をばらまいた。それがどれほど罪深い所業であったか、死んでいく動物たちが無言で語っていた。