ちいさな泥棒

search/#サーチ2のちいさな泥棒のレビュー・感想・評価

search/#サーチ2(2023年製作の映画)
4.0
パソコンを全然いじらない私にはやることなすことまるで未知の世界。

こんなふうにパソコンいじれまくれたら楽しいんだろうなとか、若者の機転や行動や仕草の早さについていくのに必死だったけど今回も前作同様ハラハラドキドキした!

↓本編とだいぶかけ離れた感想になってしまっています。というか読み返したらもはやネットリテラシーに対するぼやきになっちゃってますしゅみましぇん、、( ;∀;)


海外の映画やドラマを観ていると、日本のネットだとここまで情報出てこないよなとか、できないことが多いよなとか、なーんか「ここまで!」みたいに上からムリヤリ超絶重たいマンホールの蓋がされているような感覚があって、調べてもあからさまに情報が制限されている気がして調べても広がらないからもどかしい思いをいつもいつもしていたんだけど、やっぱりそうなんだなって改めて感じた。

(もう当たり前に知られてることかもしれないんですけど、あまりにもネットやらないもので( ;∀;)へへ)

海外はひとりひとりがジャーナリストにもなれるほど調べられるアクセスの窓口は開いているらしい。その代わりバッシングも全て請け負うという責任も伴う。

日本はマスコミという媒体があるので、自分で調べるようなことはせず何かあればマスコミのせいだと罵る。バッシングは全てマスコミが請け負うようになっている。だから無責任な発言や傷つける言葉の刃が年々酷くなるばかりで…昨今それだけじゃもうダメなニュースばかりが多いのに、調べようにも都合よく蓋がされていたら広げようにも広げられない。だから浅い情報と憶測で話題が飛び交い誹謗中傷がよけい過熱してしまう。Twitterの使用率が日本が一番高いのもそういうところがあるのかもしれない。週刊誌の情報を自分で調べた確固たる裏づけもなく、私情とともになぞって煽るだけ煽る無責任な文春乞食(と私は動画配信者を呼んでいる)配信者が増えているのもそういうことなのだと思う。

あまりにも窓口を開けすぎるのも大変だとは思うし、いうても海外も窓口に制限はあることに変わりはないけれど、それにしてもあまりにもお粗末になっているのかもしれないと、この映画を観て思った。

日本は〜とか海外は〜とかあまり言いたくない人なんだけど、これを観てて「ここまでやれるのか!」という驚きと、報道の自由ランキング最下位なのが本当に恥ずかしいなと改めて思ってしまったな……


P.S ネットで頭に血がのぼりやすくなってる人たちは一回B'zの『Out Of Control』を聴いて、みんないま一度胸に手をあてて落ち着いてほしいどすえ(92年の曲なのに人は進歩してないってことでもあるな…いや、退化してるかも……)