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きゅうり畑のかかし
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『きゅうり畑のかかし』に投稿された感想・評価

3.7
ロバート・J・カプラン監督作品!

アカデミー・フィルム・アーカイブ映画コレクション①

1972年制作。
なんともまぁ癖の強い、ミュージカル仕立ての女性の自立をテーマにした作品(^^)
田舎からNYへ女優を目指し夢を叶えるために奔走する物語。
冒頭のルー・リード「ワイルド・サイド」をバックにヒロインホーリー・ウッドローンの踊りが始まり、当時のNYの街並みが描写される、アスファルト・ジャングルなゴミやら落書きなど汚い犯罪都市もしっかり撮られていて人々の熱気などは伝わってきた(^^)

本作は長年紛失されていたが、DuArtフィルム&ビデオラボ閉鎖の際に発見されてAFAが復現することになったそうです。
昨年観た『パトニー・スウォープ』といい
まだまだ色々な当時の作品が観ることが出来る機会が増えて、嬉しく思います🤒

良か映画!
 のびのび自由を謳う歌曲の懐かし·多さ、デクパージュの存在となかなかのスタイリッシュさ(が、それ自体に意味無し)で、寧ろアメリカン·ニューシネマ=商業映画の範疇の作のようで、一応劇場向け用に創ってあるのだろうが、やはり、異質な‘いごっそう’ぶりを感じ、それが腰を据え、世のセオリー視界に入っての別の選択眼、鮮やかで見事なはみ出し方て、商業的·社会的認知を端からあざ笑ってる作で、アングラ=ニューアメリカン·シネマの立ち位置を、蘇らせてく、’60年代半ばピークからズレての’72作。『ジャンヌ·ディールマン』でなく、こういう作品が映画史上の一番人気を獲得したら、まだ映画批評を信じるかも知れない、位の驚きと自然·恣意を感じ確かなものに見る側の内に創りあげてける作、実際色んな面で真に励まされる。歪み揺れ画面やモノクロ少女時代も、ズームや切返しや90°変や横移動やパンの目立たぬ正直さ、怯え変さを丸出しを恐れねキャラと作者の正直さ、相手をまるで信じてないが·体当たり丸ごとの自分をぶち当てる、理解や感動なくも「今のせい」に任ず覚悟だけはある、音楽や曲が対人·対社会を気にせず羽を伸ばす、どんなに気分が昂ぶっても身を任せきらない醒め方·用心底辺庶民性とそれを超える内実。
 女優目指して、地方からN Yへ。馴染む執着よりも、前へ前へ進み、大方の無視にも心痛めず、外形惨めさに恥や引け目もなく、浮きっぱなしも気にしない。変わってしまったが、絆をまず信じ、故郷からでて、フェラチオ業で時代の先端と底辺に整然といる友とドライに傍目気にすることなく付き合いNYを身につけ、ディバインみたいなメアリー·ポビンズを名乗る大尽に、シェアして行ける部屋と相手を紹介されてゆく。その前唯一近づけた相手が狼男だったり、シェアのパートナーも、今ひとつ合わずやミゼットプロレスのスターだったり、人柄には感謝も続くは困難。しかし、友の友は独自ルートで拡がり、永続よりも、奇怪·変人も、取り敢えずは一緒にいる、確かな引立てと意識外の充実。やはりそこに、それなりの思いはある。その接点の繫がり方が、状況変わっても続き、運んでくれる暴力的タクシーも、尼や僧がけたたましく、勢いよく場との距離を消し一体化してる。
 『真夜中のカーボーイ』超えるバス行のセンス·連続、関わる現地慣れ·顔役·女の背光や二分画面telやり取り、多くの当時の個性的人間の詰め込みに尽く相手にされず·またメゲる等考えられず、アプローチ止まらないプライドなど端からない主人公。接点生まれずも、それぞれが自己の基盤を外さなくとも、それに拘らぬ自己を越えた、寛容·エゴイズム·自己顕示·倹しさ、を表に出る順位を変えながら、渾然一体に共存してく。
 受け身であるを引け目にせず、そのままに受ける反応と同じ位にはたらき続ける主人公は、シェア相手がミゼットプロレスラーと知り、見下しを持った辺りから、差別する側の要素を持ち始め、彼を含む3人と嘗てない充実の場と時間を持った後、「素晴らしい記憶を保っておきたい」からと、彼からのベッドイン誘いを慇懃に断り、相手も納得させるが、健常人の奢りはこの相手だけに限らず、自分を作る一要素にもなるが、基本は変わらず、進歩か退行が大して意味なく些細な俗が付加はされてく。それでも、いる地に決定的な従属ななく、この地を蔑むかたちで女優への道をハリウッドに求めてく。で、かつ、更にクレジット·タイトルバックで四人組の屈託なさが捉えられてく。
 実存的生き方を何気に示してるのか、或いは中性的で細身·ファッションとスタンスの気取らないリーダー的に‘ファクトリー’的な美女形と、奇形的も自信と誠実自己流疑わぬ‘Jウォーターズ=ディバイン’的キャラの、うちでは通じあってる温い茶番展開の中の作か。いや、どちらでもあるまい。「案山子の守れず、弱く、捨てられる」生立ちと行く末に則ったこの作の、ダブり繰返し述べるが、タッチが、大上段に構えることもなく、映画原理を問うこともなく、コンベンショナルに身を置くことなく、邪気に満ちながらも染まらず無心で、映画を意識せず、しかしそれを我が身に同化させ、1カットずつを、世界と息遣いを感じてく冷静さと、疎外やモラル喪失への意見を差し控え、儚く軽いも懸命コミット以上を、声高でなくも自己と劇中人物と美術に課したことからの、特別世界。聴く側の両親だけを捉え·了承して家に戻り出と下半身何も身に付けずの姿分かる、『真夜中のカーボーイ』を彷彿よりも更にセンス窺われるバス出立のフォローや見送り·どんでんの始まりから、見る側も安堵停滞する瞬間は与えられない。またしつこく繰返し述べると、パンや横移動のさりげないささやか肌触り、切り返しや縦の構図·スブリット画面·の堕したコンベンショナルを祓う呼吸、多人数や広い空間捉えながらの誇張ない·正確なものの細部増殖するだけ、逸物の背光讃えながらの登場と·思わぬ内面の人の巾、歌曲被さりやトップ風俗纏い自己個性をも守る·幼児性向の興味深い新鮮呼吸、軽蔑と尊重の元より縁なしの両建てパーソナリティの深み、色彩と風俗·闇の存在·少女期のモノクロ·半イメージ揺れ揺らぐ視界フィルターのバランスより都度辿り結果ら、プロレスパートのねちっこいまでの本物感触連ね途絶えなさ。言葉に置き換えられぬ、作り物軽薄を誠実·自然にしてしまう作で、リズムを合わせてくに·いっときも手放したくなく、同じ説明を何度も呼び起こした書き方にこっちも堕した。作品の表面パターン浅さに反ししつこく、おかしく。極めポーズのアップ他別カット押さえ、繋ぎのDIS·WIPE他丁寧さ、終盤のスチル中心ホップな連ね等、冒頭以降も、平板さの裏はなかなか細心が籠ってる。
4.5
キャンプ的表象を経て、(いわゆるノーマルの観者が)ごく自然であると感じるようなスナップ写真の連続へ至る過程が素晴らしい。彼らの社会は彼らが定義するものであり、もはや「特異な」表現の手段すら必要としなくなったこの解放感を大いに肯定したい。

『きゅうり畑のかかし』に似ている作品

グッバイ!

製作国:

上映時間:

31分
3.6

あらすじ

今の私しか撮れない、手探りのセルフドキュメンタリー 一緒に暮らす母親、離れて暮らす父や兄姉との関係。就職や上京といっためまぐるしい変化の時期に、自らカメラを持って今見ている世界と向き合って…

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