odessa vol+鑑賞
大人になった我々が惰性で過ごす夜と、幼い日に体験した長い夜、その違いとはなんだろうか。多くの大人にとって夜はありきたりな自由時間だ。デスクライトやスマホの液晶は疲れた脳神経をさらに鈍くし、誰に叱られるわけでもないおやつやゲームが束の間の不安を無効化する。一方、あの日の子供たちは消灯と静寂を強制され、真っ向から夜を越えなければならなかった。そうたやすく朝など来なかった。
眠れずとも逃避の手立てなく、みつめる闇の不安定な粗い粒子。手を伸ばした先に何がある?全ての距離感はぼやけて、薄い寝息の家族たちはすでに、昼間の彼らのそれではない。幼いイマジネーションが視覚を支配して、人形の顔は歪み、カーテンのペイズリー柄は微生物のように蠢く。蛇口から落ちる水滴の音、時計の針の音すら、異界に繋がる条件の様に感じておそろしくなる。
おそらく1.5メートルほど先に若かりし頃の母が眠っている、私は小学2年生ほどか。真っ暗闇、眠る母の頭部があると思しき空間を凝視する、暗闇に目はだんだんと慣れてくる。
母の頭部があちらを向いているのか、こちらを向いているのか?という恐ろしい問いが頭に浮かぶ。ああおそらく、母は向こうの壁の方を向いて眠っている。理解した瞬間、グルンッッッ!と頭部が回転し白い顔がこちらを見た。心臓が跳ね上がり、平静を装う。
母の顔は母でない。目も鼻も口もない平たい顔が、そこだけ暗闇でないかのようにそこにただ、ある。静かに身を沈め整えてから、再び同じ方向をみると、そこにはちゃんと母の後頭部があった。
3度目は決して決して見るまいと、母に背を向けて身を縮め、その夜を越えた。
あなたもあの夜にみた顔のことを、あの時聴いた声のことを、記憶の彼方に押し込めているだけなのでは?お化けなんて信じない、おかしなものは信じない。そう思っていても、あなたは心細い幼い日の夜に、たしかに何かを見たのではないですか。
...爆音オデッサ前方中央席、鬼!!😭
おうちで再鑑賞の際は毛布かぶって隙間から眺めても良いかも!ブレアウィッチプロジェクト終盤の様な空気を纏った異質な視界が延々続くストレス、本当にスキナマオデッサは最新の懲罰房のようだった、無事ではすまされない。ちょっとした贖罪タイムとなるか、魂を抜かれるか、それはあなた次第です。