にゃーめん

コット、はじまりの夏のにゃーめんのレビュー・感想・評価

コット、はじまりの夏(2022年製作の映画)
3.8
「女性が全速力で走る映画にハズレなし」

1男5女の大家族の中で"変な子"扱いされている、はぐれもののコットが、母方の親戚の家に夏休みの間だけ預けられる話。

大家族ものを扱ったTVのバラエティ番組を観ていると、母親の手が回らないので、上の子が下の子を面倒みたり一緒に遊んであげたりするイメージがあったが、
コットの家庭には全くそう言ったものがなく、コットの姉達はコットに冷たく、仲間はずれにしているという悲しい境遇。

貧困家庭の子は、学校でも浮いてしまうというのは、どの国でも同じなんだなと感じた描写は胸が苦しくなった。

国語の授業で、単語が読めず教科書の音読に躓いてしまう、母親がお弁当を作る余裕が無いため、水筒すら持たせてもらえない、などなどネグレクト状態にあるコット。(そういう子って、本人に問題がなくてもいじめの対象になったりするんだよね…)

他の姉達と違い、自己主張する事もなく、物静かで、聞かれた事にしか答えないコットは、そうする事で自分の心を守って来たのかもしれない。

そんなコットが、母方のおばさんの家に預けられてから、牧場での暮らしで徐々に心を開いていく日々の丁寧な描写は、見ている方も冷え切った心が温められ、ジンワリほぐされるようだった。

アイリンおばさんがコットの長い髪を丁寧に梳かし、汚れた身体を洗い、清潔な服に着替えさせ、身だしなみを整えてくれる、一つ一つの慈愛に溢れる描写を思い返し、自分が子供の頃、母親にそんな風にしてもらった記憶がまるで無い事に気付く。

創作の世界では、「親戚の子供に優しいおばさん」像がかなりレアなだけに、アイリンおばさんの優しさは、この後コットが何か酷い目にあう伏線なのでは?と訝しむほど。(自分はどれだけ普段酷い映画を観ているのか…)

対するショーンおじさんは、親戚の子供のコットにどう接していいのかわからず、目も合わせようとしないが、おじさんなりにコットを気遣ってクッキーをぶっきらぼうに渡すシーンがあり、ふふっと笑ってしまった。

おじさんはおじさんで、コットに情が移ってしまうと別れる時に悲しい思いをするので、あえて冷たく接していたのかもしれないと思うと、涙腺ダムにしょっぱい水が溜まってきてしまう。

そんなキンセラ夫婦の優しさの理由の裏にある事実にコットが気付き、身体の成長とともに心も成長していくコットの変化を見守るにつれ、アイルランドでのこの美しい夏が終わってほしく無い!とどれだけ願ったことか。
食卓に流れるラジオCMの新学期準備云々の文言のなんと憎々しいことか!

コットも「ハイジ」のように、いつかまたキンセラ夫婦の家を訪れ、全速力でまたあの道を駆け抜けられる日が来ますように。

「あらゆる境遇の子供を慈しみ、愛情をもって育てる」という、どストレートなテーマに冷え切った心がほぐされジンワリと沁みる作品であった。
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