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『サバイバル』に投稿された感想・評価

Omizu

Omizuの感想・評価

3.7
【第73回ベルリン映画祭 コンペティション部門出品】
『クワイエット・ルーム』などのロルフ・デ・ヒーア監督作品。ベルリン映画祭コンペに選出されたオーストラリア映画。

なんでこれ邦題がついてるんだ…?

まぁそれはさておき、いざ観てみるとほぼセリフのない作品だったので驚いた。話す場面でも架空の言葉なので字幕がなくニュアンスで分かる。そういう意味では観やすいものの、話自体は観やすいとは言えない。

乾燥した大地に檻ごと放置された女性が主人公。彼女がサバイブしていく様子を描いているのだが、エンタメ要素はなくかなり淡々としている。

どうやら感染症が広まったディストピア的世界のようだが、何一つ説明はない。ロード・ムービーのようにただ彼女の行く末を見守っていくだけ。出てくる人々はときに彼女と敵対し、ときに仲間になる。

一進一退のような展開が不思議な作品だった。最終的に何が言いたいのか、それは完全に観客に委ねられている。ディストピア的世界に残った人間の乾いた感情を描いている、と言えるのかも。

個人的にはなかなか面白かった。世界観もいいし、そこで展開される淡々とした語り口も嫌いじゃない。何を読み取るかは受取手の自由な分、こちらが試されているようだ。

配給がつかないのはそりゃそうだろうなという感じだが、ロルフ・デ・ヒーア監督作品初見の自分としては面白い作家性だと思った。
[植民地主義と人種差別への諦めと絶望] 60点

2023年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。ロルフ・デ・ヒーア長編15作目。近作では盟友デヴィッド・ガルピリルと共にアボリジニの物語を描いてきたが、本作品ではそれを一般化したような構成になっている。というのは、黒人女性(BlackWoman)とだけ呼ばれる主人公を演じているMwajemi Husseinはコンゴ民主共和国出身の難民女性であり、主人公が都市で出会う兄妹は演者の名前的に恐らくインド系っぽく、そんな彼らが一緒くたに迫害されているからだ。灰か雪の積もった家の模型と虐殺される黒人のミニチュアが映し出され、それがガスマスクをした白人が囲んでいる悪趣味なケーミのデコレーションだと分かるという冒頭からフルスロットルだが、実際に作中の世界がどのような変化を遂げて今に至るのかは分からない。ガスマスクをしているのは白人だけなので、白人だけに効くタイプのウイルスや大気汚染なのか、それとも白人が裕福だからガスマスクを持っていて、自分たちだけ生き延びようとしているのかは分からんが、とにかくガスマスクは白人の象徴として扱われている。特に都市部では白人になりすます必要があって、捕まった黒人奴隷を解放することもできず、周りの白人と一緒に石を投げるフリをすることしか出来ない。

物語は主人公が檻に入れられて荒野に放置されるところから始まる。どうにか檻を抜け出した彼女は、行く宛もなく様々な場所を放浪する。その先々で色々な物を物々交換しながら旅を進めていく。特に都市部に着くまでは熾烈な靴の奪い合いが勃発しており、主人公も何度か奪い奪われを経験する。また、印象的なのはナイフを振りかざして威嚇する女性に空砲の銃を授けるシーンと寂れた街の歴史博物館を訪れるシーンだ。前者は短いシーンだが、ナイフだけでは負けてしまうなら空砲でも銃を有効利用せよ、という実用的な連帯にも見えてくる。後者はより直接的に白人によって排斥されてきた歴史に触れた上で、彼らの持っている特権性を奪い取る。都市部に赴いた主人公は前述の兄妹と出会い、三人は有色人種を奴隷として扱う工場に潜入する。どのシーンもメタフォリカルで、かつ主人公の不思議な優しさが滲み出ているのだが、ほとんど言葉による説明がないこともあって主人公が何をしたいのかが明かされず、場当たり的な展開になっていたのは否めない。ただ、どのシーンも絶望感が漂っているのだけは共通していて、最終的には痛みを伴う諦めと問題のない世界を夢見て死ぬ道しか残されていない。そういう意味では、『Alien Visitor』以前の監督作と同様に、主人公の潜在的な望みが叶えられるラストになっているのかもしれない。
CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

3.5
【ロルフ・デ・ヒーア監督が描く終末世界とは?】
動画版▼
https://m.youtube.com/watch?v=cisFcvoOox8

第73回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門にロルフ・デ・ヒーア9年ぶりの新作『The Survival of Kindness』が選出された。日本ではVHS時代のカルト映画『アブノーマル』で知られる監督であるが、実は子どもの目線から観た倦怠期を描く『クワイエット・ルーム』やオーストラリア先住民ものなど様々な作品を生み出している監督である。本作はコロナ禍によりプロジェクトが頓挫してしまった中作られた作品である。

主演を務めたのはコンゴ民主共和国出身のMwajemi Hussein。彼女は、この映画のオーディションを受けるまで映画館に行ったことがなかった。コンゴ戦争により、タンザニアの難民キャンプで8年間過ごした後、オーストラリアへ移住した彼女は仕事と育児に追われて、なかなか自分の時間を持てなかった。そんなある日、友人からこの映画のオーディションに誘われて受けたのだ。

そんな彼女が出演した『The Survival of Kindness』は変わった映画であった。本作がベルリンのコンペティションに選ばれた時に、CINEMAS+寄稿用にあらすじを調べたのだが、その時はペマ・ツェテン『タルロ』のような先住民が都市のシステムに飲み込まれる話をコロナ禍と重ね合わせ抽象的に描いた作品かと思った。確かに、部分的にはそうだったのだが、蓋を開けたら終末世界冒険映画だったのだ。しかも、映画の大半がセリフなし。登場人物がわずかに話す場面でも字幕がなかったのである。今回は、そんな『The Survival of Kindness』の感想を書いていく。

《黒人女》はガスマスクの男に連れられて、砂漠のど真ん中に放置される。灼熱の世界の中で、彼女はドライバーを見つけ、なんとか脱出し、町を目指す。途中途中で、首を吊っている人や、血だらけの人を目撃する中、彼女は帽子に銃、そしてガスマスクとアイテムを見つけていく。町にたどり着くと、ガスマスクを被った人が、被ってない人を射殺したり石を投げつけて虐めたりしている。その対象にならないようにコソコソ動く中で仲間ができる。国籍も言語も違う仲間。しかし、表情と仕草で親密な関係が紡がれていくのであった。

本作は、コロナ禍によって希薄となった人間関係や得体の知れない群衆の恐怖を抽象的に描いているといえる。ガスマスクを被ることで個性がなくなる。そして、個人としてではなく群衆として行動することになり、暴力が簡単に振るえるようになる。まるでSNSで悪口を書いても痛みを感じないように。個人対個人で親密な関係が生まれにくくなった世界で、放浪する黒人女は希望を与えてくれる。彼女がニカっと笑うと、言葉は通じなくても場が和むのだ。

彼女は、ただ窮地から逃げているだけなのに、段々と彼女の歩みが聖人へと変貌していく。ただ聖人になり権力を持つと、そこには新たな暴力が生まれる。本作は、一貫して個人としての優しさにフォーカスを当てており、その優しさを過度に持ち上げることはしない。ラストに提示される孤独にそれが現れているのだ。

『十艘のカヌー』でオーストラリア先住民をマジックリアリズム的演出で描き、『Charlie's Country』では等身大の文化がなくなり孤独を抱く先住民像を描いたロルフ・デ・ヒーア。『The Survival of Kindness』ではSF映画でありながらも、アプローチは現実的な凄惨な世界に対してひたすら歩くことで生き延びる様子を描いていた。現実では、突然ヒーローになったり聖人になるようなことはあまりない。でも、それでも微かな優しさが人を救うことがある。それを描いていた作品と言えよう。