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ビヨンド・ユートピア 脱北のMrOwlのレビュー・感想・評価

4.0
マドレーヌ・ギャヴィン(マドリン・ギャヴィン)監督で米国が製作、トランスフォーマーが配給するドキュメンタリー映画です。韓国製作ではないことが興味深いですが、内容を考えると米国など第三国的な位置づけの撮影クルーでないと、映像の入手、撮影、配給も難しかったものと思われます。ドキュメンタリーのため、危険を冒して撮影された北朝鮮の映像や、実際の脱北の道中などでは映像の解像度が低かったりしますが、全く気になりません。むしろ緊迫感が強烈に伝わってきます。また北朝鮮は、日本とも拉致問題や朝鮮総連問題、密入国、ミサイルなどで因縁浅からぬ隣国のため、ある程度の情報と知識は持っていましたが、今回のドキュメンタリーでは、脱北者を支援するキム・ソンウン牧師の姿を追うことで、脱北者の方々の話を聞くことができ、北朝鮮の「国民/人民」の現状を垣間見た気がしました。
農村部での過酷な労働、肥料を調達するためのトイレの方式。人民が人民を監視する社会。貧困と飢餓が蔓延する社会。
政治犯として収容され、拷問を受けた後、過酷な労働を強いられること。身内が捕まると社会から蔑まれること。
仮に出所できても、職につけないことなど、希望を持てない社会。
そんな社会/国から決死の脱北を図る、2つの家族の姿が映し出されます。
1つは軍歴もある女性が息子を残し脱北後、息子の脱北のためにキム牧師を頼る、引き裂かれた家族。もう1つは幼い女の子2人、80代の老婆を含めた5人の家族。脱北の実際の様子はこの5人家族の姿で知ることになります。韓国側との38度線は地雷が多数あり、警備も厳しく越境が難しいこと。中国側の国境は川を越えないといけないこと。北朝鮮側、中国側とも警備を強化しており、決して安全なルートではないこと。中国側ルートではそこから南側に移動し、ベトナム、ラオスを通ってタイを目指すというとてつもない移動距離となること。ベトナム、ラオスも共産主義国であるため、この国で見つかると中国経由で北朝鮮へ送還されてしまうこと。タイまでたどり着ければ、逆に警察に捕まることで身の安全が確保されること。北朝鮮⇔中国間で便宜を図ってくれるブローカーが存在すること。ベトナム、ラオスにもブローカーが存在すること、そのブローカーとも連携しながら家族の脱北に同行するキム牧師。綺麗事ではなく、使える闇のネットワークは利用し、脱北者を助ける姿に強い信念を感じました。途中途中、5人家族の話も聞くことができますが、80代のお婆さんは「金正恩元帥様は素晴らしいのに、人民の努力が足りないから国が発展しないの?」という話をします。娘さんである幼い子のお母さんは「希望がない国で、自分たちも危ない」ということを話します。世代によって国に対する認識に差があることが伺えますし、お婆さんの話に、洗脳の怖さが感じられます。
北朝鮮の主体思想の教えが聖書を盗用していることや、そこから金日成を神格化し、金正日は神の子となり、金正恩は神の孫として位置づけられ、主体思想が人民に教え込まれていることも知ることができました。
聖書が禁止されているのは、聖書の教えと比較されると盗用がバレてしまうという理由もあるようです。
情報統制は厳しいようで、多くの人民が他の国も今の北朝鮮と同じ、と考えているということも、改めて専制国家の恐ろしさを感じます。
息子さんの脱北を待っていた女性の物語は、脱北が如何に危険であるか、ということが伝わるものでしたので、ドキュメンタリー映画としての構成も良かったと思います。


以下は、少し政治色、思想色が強い、と感じてしまう人も居るかと思いますので
そうしたコメントが苦手な方は、読み進めないでおかれると良いかと。

日本人としては1点だけ、物申しておきたい点があります。
作品の中で、朝鮮半島の歴史を大まかに紹介するシーンがありますが、
日本により35年間植民地支配された際、言語を奪われ、酷い扱いを受けた、というような説明がされていた部分です。
確かに、日本は、1910年に韓国併合(今日の大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に相当する地域)を行いました。
これにより大韓帝国は消滅し、朝鮮半島は第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)終結まで日本の統治下に置かれました。
統治は朝鮮総督府により行われましたが、統監府は1909年、新たに戸籍制度を朝鮮に導入し、李氏朝鮮時代を通じて人間とは見なされず、姓を持つことを許されていなかった奴婢、白丁などの賤民にも姓を名乗らせ、戸籍には身分を記載することなく登録させました(これは身分開放と言われます)。李氏朝鮮時代は戸籍に身分を記載していたが、統監府がこれを削除したことにより、身分開放された賤民の子弟も学校に通えるようになりました。身分解放に反発する両班(以前の支配階級)は激しい抗議デモを繰り広げたが、身分にかかわらず教育機会を与えるべきと考える日本政府によって即座に鎮圧されています。
また、教育文化制作としては、日本内地(現在の日本国の領域)に準じた学校教育制度が整備されました。初代統監に就任した伊藤博文は、学校建設を改革の最優先課題としたとされています。小学校も統合直前には100校程度でしたが、1943年(昭和18年)には4,271校(40倍以上です)にまで増加しているそうです。
そして併合直後の1911年、朝鮮総督府は第一次教育令を公布し、朝鮮語を必修科目としてハングルを学ぶことになり、朝鮮人の識字率は1910年の6%から1943年には22%に上昇しています。
併合前の被差別階級の人々も含め戸籍制度を導入し、朝鮮語を必修科目として教育制度を整えた事実があるので、言語は奪っていません。日本語も教えたでしょうから、日本語を話す人も増えたでしょう。不当な扱いを受けた人が居なかった、とは言えないと思いますが、少なくとも搾取するだけの欧州の植民地とは統治の方針が違っていたことは、記しておきたいと思います。
言葉を奪った植民地支配をしたのは、アフリカで話されるのがフランス語だったり、南米でスペイン語、ポルトガル語が話されることから明かでしょう。
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