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マリウポリの20日間/実録 マリウポリの20日間のsnowwhiteのレビュー・感想・評価

5.0
とても辛い映像ですが、全ての国の人が目を背けず観るべき映画だと思いました。

AP通信のウクライナ人記者チェルノフはロシアによる自国への軍事侵攻を知りって仲間とマリウポリに向かう。他の海外メディアは次々脱出していったがこの状況を世界が知るべき、そして後世に残すべきと、映像を撮り続けた。爆弾が破裂する中での命懸けの取材である。各国がこの映像をニュース配信に利用した。

徐々に包囲されてゆく街、物流も通信も遮断される中で逃げ場を失う市民。どうすることも出来ない焦り。重傷を負った人々が次々と運び込まれてくる病院。それらの凄まじい惨状の克明な記録である。
心して見て下さい。


アカデミー賞、長編ドキュメンタリー賞受賞。

映画を見た後監督のインタビューを読んだ。

どんな気持ちで撮影していたかと問われた監督の答えが深い。

「もちろん、苦しんでいる人々を撮影するのは簡単なことではありません。撮影されることを嫌がる人たちもたくさんいました。

ただ、映画の中でも分かるように、非常に多くの人々が、私に話しかけ、撮影を続けるよう求めていました。そして、もし私が撮影を続けなければ、誰も撮影する人がいなくなることも人々は理解していました。何が起こっているのか、誰にも分からなくなってしまうのです。

だから、私にとってはどんなに大変なことであっても、その重要性、必要性を感じていました。私はこれはやらなければならないことだと、理解していたのです。」

また、一番辛かった撮影はと聞かれて

「私が最も打ちのめされた瞬間は、取材の最終日、20日目だったと思います。

赤十字のスタッフが私たちを地下に連れて行ってくれました。そこで助からなかった人たち、救うことができなかった人たちの遺体をすべて見せてくれました。そのとき、彼が広げ始めたのは小さな包みでした。それは赤ん坊の死体でした。私はぞっとしました。その直後、私たちは街を離れましたが、その映像はずっと私の心に残り、今に至るまで私の心に残っています。彼らは私たちがこのことを世界に伝えることを望んでいたのです。このことを世界に。」



こういう悲惨な映像を撮影するジャーナリストを非難する声を時々聞くが、ジャーナリストが伝えなければ何が起こっているのか何も分からないのだ。監督の言葉に強い覚悟と使命が見える。そして撮影されていた悲惨な状況の人たちも世界に伝えて欲しかったのだ。助けて欲しいというのも勿論あるだろうが残さなければ自分達の存在さえ消えてしまいそうに思っていたのでは無いだろうか?

撮影に必要な電源もないのにどうやって撮影したか?との質問に

「1日街を歩けば缶詰などの食料は手に入るし、雪を溶かして水を得ることもできました。しかし、バッテリーを充電し、2分ほどの短い映像を送ることは最も困難なことでした。ウクライナの赤十字の建物は爆弾で破壊され、そこでバッテリーを充電することはできませんした。充電していたホテルの発電機はすぐにガソリンを使い果たしてしまいました。残されたのは病院だけです。手術室は発電機で動いていましたが、負傷者が絶え間なく押し寄せていたので、常に稼働していました。充電できるのはそこだけでした。充電して撮影する。写真はどうやって送ればいいかというと、動画は非常に小さなクリップに分割する必要がありました。10秒のクリップを送るために、何らかの回線を見つける必要がありました。接続は非常に弱く、3台の携帯電話を使って行いました。近くで爆弾が落ちてくる中、誰もいない通りにある食料品店のコンクリートの階段に座って、映像を送ることもありました。

マリウポリにいた20日間で送ることができた映像は40分程度だったと思います。マリウポリから脱出したときには約30時間の映像がありました。ハードディスクやカードをすべて手元に残せたのは幸運でした。(ロシア軍に見つからないよう)車のシートの下などに隠して持ち出したのです。」

監督のインタビューを聞くとこの映画の凄さがより理解できる。私たちはゆめゆめいい加減な気持ちでこの映画を見てはいけない。目を背けずしっかり向き合わなければいけない。こんな映画を作らなくてもいいような世界にするためにはどうすればいいのか考えなくてはならない。
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