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祖国の人々
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『祖国の人々』に投稿された感想・評価

✔『祖国の人々』(3.6p)及び『シャンゼリゼをさかのぼろう』(3.6p)『王冠の真珠』(3.6p)▶️▶️

 『祖国~』。元の尺から共同訪問者の当時妻との離婚絡み·部分削除あり、(戦前時もあったが、)戦後TV放映用に追加撮影·再編集·根本的音入れ直しもあったと言う事で、本来、どれほどの作った誠意を持つ作品なのか分からないが、当時の偉大·著名な芸術家(絵画や彫刻)·作家·役者·文化人·法曹人に対等に接し、記録の許可にもまごつかず、平静に細部まで記憶、その価値と風評を冷静に現在に至るまで揺るがせず·護ってってる姿勢と、それらの在り方が記憶から歪められ·真の存在が消されようとしてる事へのある種憤りの抗議実践力は、ルノワールと同じでギトリは、戦前は識者からは軽んじられてたと言うが、ほんまかいなと思ったりする。やはり、共に戦前の一大権威だったのでは思ったりする。’50年代追加撮影の書斎の作者と語りに出てくる人々の作品へのカメラワークもいいが、サイレントの映画記録素材が、作者の語りがその内部から発してる様な、自律性限界なしあり方には呆気。皆奢りや尊大さと無縁で、率直に進むだけの人々、生活の為から仕事=人生と化し、頑健も視力失ったと同時に急死もする、気取りなく当人同士は譲り合い、語る等身大の姿の再現力は、どこまで貴重なのか判断もつかない。
 これまで何度も部分を見てきたルノワール親子の一心同体創作姿の映像はギトリの手によるものだったとは、知れ渡ってた事かもしれないが私は初めて知った。3人が1つのフレームに収まってくに至っては奇跡みたいだ。ジャンの顔付きや成長しきってない体躯から、これは1915年より前の映像の気もするが。他のそれぞれに併せたサイズ·撮りかたも、記録を越えた世界を感じる。
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 ギトリが戦前から、汎ゆるレベルで認められた大家でなければ、『カドリーユ』『デジレ』といった癖のある·勝手気ままにも見える作品はともかく、フランスの歴史を扱い、誰もが映画にもその内容にも、堪能でき、納得する、スケールと味わいの一級作品を任され、それに応える事等なかったろう。40年くらい前か、トリュフォの持ち上げばかりで期待していいのか分らなかった、ギトリという人の、遅ればせながらやっと見れた作品が、『シャンゼリゼ~』『~王冠』や『ナボレオン』辺りだったろうか。邦訳スーパーが付いてなかったし、フランスの歴史にまるで興味ない人間なので、前評判に裏切られた感がした。相変わらずフランスの歴史には無関心·無知で分からないが、映画として、王道、至極立派な作品ぐらいだとは分かって来た。今で言うと、ベルトルッチやスピルバーグの最良作品に匹敵する位の、求められる映画ど真ん中·かつゆとりと滋味の銘品達だ。
 『シャンゼリゼ~』の、通りや河、教室や宮殿を自由に優雅に動きまくるカメラ、王室·庶民·軍人·外国人が自由に交錯し、時に混じり合う。子供らに、元は森でしかなかったシャンゼリゼ大通りの歴史を語り、自分史も明らかにしてく教師は、通りに初めてパブを持った家系で、ルイ15世のとナポレオン1世の両方の血を偶然に受け継ぎ、共和制·王制·帝政の葛藤と高揚の精神が未だ活きてて引継ぐ先を求めてる(一旦相容れず、別れた父母は、求め合うかのように、再会、独特に落ち着いてく)。様々の階層の様々な舞踏が渦巻き流れ、ワルツに行き着く、高い所からのフィットした360パン+移動の狂喜かうねる力かの、カットが圧巻(「フランス万歳」)。
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 『王冠の~』は、英国王室に伝えられる、仏英伊を巡った、残存4個·不明3つの権力の移譲·権威の伝承でか、纏ってか·個別にか、4百年以上動きまくった、真珠の流れを追ってく、仏·英·教会の、末裔的公的·私的機関の葛藤とその成果を著し、三者の類似行動の細かな瞬時カットバックを何度も絡めてく。権力のメインが、英国教会独立ヘンリー八世と周辺女性·仏大革命のギロチンやナポレオンの余波を突き抜けて、絶対王政から革命勢力へ行きつ戻りつから力づくが蹂躙大戦の現代へ·国家や教会の勢力図変化·奇妙見え有色国家の服従と復讐らが絡まり、微妙に·時に激しく、世界の色合いと共に変わってゆき、盗難にあった3個についても歴史の端を雛形的にうねってく。欧州歴史には無知だが、この捌きの滑らかさ·巧みさは大変なレベル。無知を晒すが、メディチ家に悲運に産まれた娘が、修道院から、後の枢機卿らに迎えられ、英仏を跨ぐ女帝になってく、西太后みたいな生のうねりが1番面白かった。(後の)映画·演劇の大スターがこれでもかと出てきて、企画元もだが、作家にカリスマ性がないと、集め·はみ出さずに適材適所で操るは、不可能も立証してる気がする。仏大革命の残虐処刑·反転留まらずが出てきても、権力の魅惑には決して向かわぬ優雅なベースが2作ともにある。言語の異種並行も、パプストやルノワール以上の操りだ。
3.9
先日の大江健三郎の訃報をうけてちょっと話題になった伊集院光の2008年のラジオ番組に大江健三郎が出演したときの対話をYouTubeで聴いて衝撃を受けたのだけど、あの番組で伊集院光が言ってた「同じ話を何回もするおじいちゃん」の話と似てるなぁと、『祖国の人々』に先がけての坂本安美さんの解説を聞いて思った。演劇出身のサッシャ・ギトリは最初映画に対して懐疑的だったということも解説で知った。

1914年にサイレントで撮られた晩年のロダンやモネ、サラ・ベルナール、サン=サーンス、オーギュスト・ルノワールなどの姿を記録した「ドキュメンタリー」(ドキュメンタリーの概念はフラハティからだろうけど)を、毎回ギトリがライブで語る形式で上映し、のちにリュシアン・ギトリの晩年の映像も加えられ、1952年には当時のギトリが自室で1914年の『祖国の人々』を解説・紹介するシーンを加えて再編集されているとのこと。
伊集院光の「同じ話を何回もするおじいちゃん」は、また同じ話だよと思われがちだけど実はその日の気分や聞かせる相手によって強調されるところが変わったりアレンジが加わったりする、大事なのはそれのどれが真実かということではない、というような話だった。アピチャッポン『真昼の不思議な物体』はまさにそれ(口伝、伝承による変化)を映画にしてるんだけど、『祖国の人々』の特殊な変遷も「同じ話を何回もするおじいちゃん」に似ていると思った。

映画(記録されたもの)の一回性、演劇(ライブ)の一回性、その一回性もそれぞれ性質が違う。ひとつの記録映画にライブの説明をつけて何度も上映し、その映画に後年別の映像を足し再編集し、という変遷を経て「同じ話を何回もするおじいちゃん」のように、サッシャ・ギトリの中でも感じ取り方や伝え方に変化があったのではと想像される。

ギトリの語りは演劇の人だけあって「おおナントカよ」みたいな朗詠調というか美文調のような流麗さでどうしても眠くなってしまうのだが、晩年のオーギュスト・ルノワールがリューマチで不自由な手に筆を縛り付けて、まだ少年だったジャン・ルノワールが助手となって絵の具を出したり煙草を持ってあげたりしている映像や、モネが描いたジヴェルニーの風景がまさにモネの構図のように映っていたりするのを観られてよかった。すべて自然光のみで撮られており、顔半分は深い影に縁取られる。

サッシャ・ギトリの自室で彼を見下ろすように掲げられた肖像画が父のリュシアン・ギトリで、その晩年の姿を捉えた映像でふっと終わる。
ロダン、モネ、サラ・ベルナール、アナトール・フランス、ドガ、ルノアールなどが動く姿を収めた1915年の映画。それを1950年のギドリが解説していく。ドキュメンタリストとしてのギドリという視点は重要。

庭に佇むモネ。笑うベルナール。アナトール・フランスの机にあった鳥の置き物をよく覚えてる。

『祖国の人々』に似ている作品

火だるま槐多よ

上映日:

2023年12月23日

製作国:

上映時間:

102分

配給:

  • 渋谷プロダクション
3.3

あらすじ

大正時代の画家・村山槐多の「尿する裸僧」という絵画に魅入られた法月薊(のりづき・あざみ)が、街頭で道行く人々に「村山槐多を知っていますか?」とインタビューしていると、「私がカイタだ」と答え…

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