NaokiAburatani

碁盤斬りのNaokiAburataniのレビュー・感想・評価

碁盤斬り(2024年製作の映画)
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学生時代に当代の柳家さん生師匠の古典落語「柳田格之進」を寄席で拝見し、その芸と人情噺の完成度にとても感銘を受けた。自分にとっては本当に特別な噺であり、それを白石監督がどのように映像化するか大変興味深く楽しみにしていた。

結論から言うと、思い出が強過ぎたのか今作では落語で見た時の感動は超えられなかった。

あくまで個人的な意見だが、個々の役者の演技力は高いとは思う。しかし、演技力の高さのベクトルがイマイチ噛み合っていなかったように思う。國村さんは表情で演技をされるし、市村さんは喋り方が舞台役者的な盛り上げ方を持っているなど。舞台が江戸時代という設定も相まって喋り方や所作等も現代的に見えてしまうことも多少あり、そこもイマイチのれなかった要因に思う。

今作は落語の柳田格之進をベースに亡き妻の仇討ち要素を加えている。また、演者にもよるところだが、自分が観た時はお絹が吉原に身売りをしてから格之進は彦根藩に帰参し、必死に50両を稼ぎ娘を身受けしたが、身も心も病んでしまっていたおり、萬屋にて50両が発見されるという流れであった。
まず一つ言いたいのは、この噺の肝は柳田格之進という男の懐の深さを感じる人情噺であるということ。
正直、身売りした娘を置いて仇討ちに行くよりも先に50両用立てるのが先だったのではなかろうか。仇討ち相手を見つけ、時間がない中囲碁勝負を持ちかけた時の斎藤工のセリフである「貴様正気か?」がホントにその通りだった。時間をかけた割には結局チャンバラで終了するというイマイチ何のための時間だったのか分からない話の流れだった。
人に事情説明してる暇があったら、本懐遂げた後、すぐに無言で吉原走り出せばよいのだが、イチイチ「なんでこうしないのか?」という登場人物の動きが気になった。
話の上で最大の戦犯である音尾琢真演じる番頭が一切裁かれていないし、謝罪もないということもカタルシスが得られない要因の一つであったように思うし、弥吉が吉原大門の近くでお絹を見かけて能天気に話しかけるくだりは、本気で何考えてるのかさっぱり分からなかった。そこから祝言をあげるのは理由付けがなさ過ぎる。落語では、元々番頭と弥吉は同一人物で後に柳家花緑によって2人に分けたという経緯があり、これを下敷きにしていると思われるが、この2人に分けるという変更自体が果たして正解だったのかが疑問である。
祝言に至った理由としては、格之進の温情に本気で改心した番頭が献身的にお絹を生涯かけて介抱したという経緯があるのだが、今作ではその辺の話をなかったことにし、イキナリ祝言となったため、あまりに唐突な展開である印象を受けた。
小泉今日子演じる吉原の女主人(なのかどうか立位置がイマイチ分からなかいから便宜上こう呼ぶ)の「期限?何のことです??」とかクサ過ぎて見ていられなかったし、遊女達が「良かったね。」的な顔で見送るのも、先に足抜けしたために仕置を受けた遊女のことを思うと違和感があった。
元の噺の完成度が高いためか、オリジナル要素が尽く上手くハマっていないように思えた。

弥吉が主人の首まで勝手に賭けてしまうというくだりは、原作落語においてはそういうくすぐりで50両見つかった時には、「とっとと探しに行け!」という主人に対して「いや、それは止めたほうが‥」という笑いの場面なんだが、無理矢理全編感動的な流れにしているが故にそこにもやはり齟齬を感じてしまった。

また、肝心要の格之進のキャラが掴みづらかった。余りに清廉潔白過ぎるため周りから何を考えているか解らないと評されるのだが、草彅剛の格之進はホントに何考えてるのか解らない不思議キャラになっていた。掛け軸で金作って元同僚たち救うのは結構だが、左門だけ損してるんだから、そこは帰参でもして自分でどうにかして金稼げば最後まで清廉潔白なままでいられたのに、と思ってしまう。不正暴いて暮らしが辛くなった相手に不正で得た金渡しても‥

演出面では、過去回想入る前の演出がやや過剰で集中が切られてしまった。鑑賞した劇場の音響のせいか音楽やSEが妙に響いてしまったのも良くなかった。

後、タイトルでかなりネタバレしているのだが、それは良いのか‥落語では何で碁盤を身代わりにしたのか説明シーンが最大の見せ場で格之進の懐の深さを魅せるところが良かったのに‥逆に祝言のシーンで落ち着いた状態で説明するのは却って蛇足だったように思う。
最終的に監督が実直さというものをどう捉えたいのかがよく分からなかった。
碁盤はさんだ萬屋と格之進の囲碁を使った濃厚な逢引きを見せられたのだけは分かった。
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