ナガエ

12日の殺人のナガエのレビュー・感想・評価

12日の殺人(2022年製作の映画)
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本作のテーマは「未解決事件」。公式HPによると、映画では設定をちょっと変えているようだが、本作にはモチーフとなる実際の事件が存在する。そしてその事件は、今も未解決のままだ。

そして本作も、事件は未解決のまま終わる。この点に触れることはネタバレになるかもしれないが、しかし僕の感触では、映画を観る時点でこの事実は知っておいた方がいいように感じた。

というのも、未解決のまま終わるのだから当然とも言えるかもしれないが、本作は「殺人事件そのもの」に焦点が当てられる作品ではないからだ。確かに映画の中では「ある殺人事件」が描かれる。しかし、言い方は悪いかもしれないが、あくまでもそれは「より核となるものを描くための一要素」という扱いになっているように僕には感じられた。そしてその「核となるもの」が、「捜査する者たち」である。

つまり、「生きたままガソリンをかけられ焼死した少女の事件を追う刑事たち」の方が、物語の主軸になっていくというわけだ。

もちろんそれは、「犯人が見つからない焦燥感」「様々な状況における葛藤」など「刑事であるが故の事情」もあれば、「妻に離婚を突きつけられている」「公道に出ることなくひたすらトラックで自転車に乗り続ける」みたいなよりパーソナルな話も含んでいる。

しかし、映画を最後まで観ることで、「『捜査する者たち』に焦点が当てられている」ということの、より本質的な部分を理解することが出来るだろう。

物語の途中から、刑事課にはナディアという女性が配属される。彼女は警察学校を首席で卒業したようで、そうであるならば所轄ではなく最初から本部に行くことも出来る。しかし彼女は、「制服組」と呼ばれる本部を目指さず、客観的にはどう考えても大変な所轄を選んだ。

張り込み中、その理由を問われた彼女が、「捜査が好きなんです」みたいな答えを変えするのだが、それに続けてさらにこんなことを言う。

『殺すのも男が多くて、捜査するのも男性ばかりですよね。
男が人を殺し、男が取り締まる。
変ですよね。』

この点にこそ、本作の主たるテーマがあるように感じられた。

被害者のクララ・ロワイエについて捜査を進めていくと、「彼女と身体の関係があった」という男の存在がたくさん浮かんでくる。彼氏だと言っていたウェズリー・フォンタナ、ボルダリングジムに一緒に通っていたジュール・ルロワ、とある事情で出頭してきたギャビ・ラカゼット、主任刑事に奇妙な贈り物をしたドニ・ドロエ、思わぬ形で名前が上がったヴァンサン・カロン。彼らの存在により、少しずつ、クララ・ロワイエという人物の「見え方」が傾いていくことになる。

しかし、忘れてはならないのは、「これは殺人事件の捜査の過程で明らかになった」ということだ。逆に言えば、「殺人事件の捜査に関係ないと判断されるクララに関する情報は取り上げられない」のである。だから、捜査を続ければ続けるほど、「クララは性に奔放な女性だった」という情報ばかりが積み上がっていく。「容疑者」を見つけ出そうとしているのだから、まあそれは仕方ないと言えるだろう。

ただ、これはもちろん「男性的な見方」であると指摘することも可能だ。つまり、「若い女性が殺されている。しかも、セフレがたくさんいたようだ。だったら、そういう方面で恨みを買って殺されたのだろう」というわけだ。もちろんその可能性は高いかもしれないが、そうではない可能性もある。しかし事実、刑事たちは捜査の過程で、「女性」に容疑を向けることはない。男関係しか調べないのだ。

そのような違和感を観客にも分かりやすく伝えようという意図だろう、作中には、クララの親友であるステファニー・ベガン(クララはナニーと呼んでいた)が刑事に抗議めいた主張をする場面が描かれる。「男関係のことばかり聞いてくるけど、優しい子だったし、私の親友よ」と、やり場のない怒りみたいなものを口にするのだ。僕も男なので、この場面でハッとさせられた感じがあった。「捜査」という観点からすれば仕方ない部分はあるとはいえ、「クララ・ロワイエ」という女性のことをかなり偏った形で見ていたのである。

あるいは、男同士でも認識に差があることを示す次のような場面もあった。刑事が捜査会議をしている時に1人が「彼女は聖女じゃなかったってわけだ」みたいな発言をする。それに対して主任が「聖女じゃないから殺されてもいいっていうのか」みたいに突っかかる。「ただ意見を言っただけだ」みたいに返すのだが、ここでもまた「殺すのも男、捜査するのも男」という現実が生み出す「歪み」みたいなものが浮き彫りになるような感じがあった。

そして、そういう感覚をすべてまるっとひっくるめたのが、ある場面で主任刑事が発した言葉にあったように思う。

【犯人が見つからないのは、「すべての男」が犯人だからです。】

あるいは、ナニーのこんな発言もほぼ同じ意味と受け取ることが出来るだろう。

【(クララが)殺された理由を知りたい? 女の子だからよ。】

正直なところ、これらの発言が出てきた時にはあまり、本作全体のテーマを掴みきれていなかったのだが(やはりこれは、僕が男だからだろう)、最後にナディアを男社会の刑事課に放り込むことで、そのテーマを観客に一気に提示するみたいな感じがとても上手かったなと思う。

捜査の描写で印象的だったのが、「フランスでは盗聴とか盗撮は、犯罪捜査であればかなり自由に出来るんだな」と感じた。日本でも「盗聴法」みたいなのが出来て、捜査の過程で盗聴が行えると思うのだけど、たぶん制限があるはずだ。ざっくり調べると、「組織的に行われる犯罪の予見がある場合」みたいなことらしい。となると、「既に起こってしまった殺人事件の捜査」では盗聴は出来ない理屈ではないかと思う。分からないが。

あと、これはメチャクチャ良いと思ったのが、いわゆる「取調室」みたいなものがないところ。刑事たちは、自分たちのオフィス的なところに被疑者やら容疑者やらを呼び、カメラで撮影の上で質問をする。この方が絶対に良い。日本の警察は「捕まえて自白させればいい」的な主義がなかなか酷く、欧米からも批判されているはずだ。どう考えても冤罪の温床なので、日本も「オープンな場所」か「カメラでの記録」の方向に進んだ方がいいと思う。

あと、彼の存在が物語全体においてどういう役割を持っていたのかイマイチ掴みきれなかったが、捜査員の1人で、妻から離婚を切り出されているというマルソーはとても興味深い人物だった。「妻との関係が最悪」という状況だったからということもあるだろうが、恐らく最も「クララ事件」に影響を受けた人物と言っていいように思う。

ズバッと来るような作品ではなかったが、最後まで惹き付けられる作品ではあり、興味深く観れた。
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