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窓ぎわのトットちゃんのしののレビュー・感想・評価

窓ぎわのトットちゃん(2023年製作の映画)
4.3
これは傑作なのでは。本作のアプローチは『この世界の片隅に』や『マイマイ新子と千年の魔法』を思い出す。緻密な時代考証のなかで、アニメーションによってこそ描かれる、子どもの活き活きしたいのちと逞しい想像力。日常が侵食されていく暗い時代にあっても、生きていく(あるいは生きていた)いのちがあるのだ。

この話、「戦争によってこんな酷いことが」という直接的な因果関係の悲劇をメインに描いていない。たとえば『この世界の片隅に』のように不発弾で……とか徴兵されて……とか、そういう直接的な「戦争による悲劇」は描かれない。それは主人公が裕福な家庭だったということも関係しているだろう。つまりそれぞれの階層にあった戦争影響の描き方ということで必然性がある(実話なので当然だが)。弁当が質素になって、綺麗な服が着れなくなって、歌が歌えなくなって……。そういう「人らしいこと」ができなくなっていく積み重ねに悲劇を見出しているのだ。

逆にいうと、この「人らしいこと」の喜びを印象付ける前半がとても機能している。まず、子どもたちの予測不能な動きをアニメーションで描くその精度が素晴らしい。ランドセルを背負ったままお辞儀をすると、時間差でランドセルが落ちてくる。こういう観察眼の積み重ねが効いている。子どもの動きをちゃんとした観察眼に基づいて描くアニメーション作品はそれだけで貴重だし、しかも彼らを純粋なものという理想化された記号ではなく、何にも染まってない危うさを含めて描いているのでとても信頼できた。「しっぽ」呼びで周りも反射的に笑ってしまうとか。すべては大人の導き次第なのだ。

また、視点の提示の仕方も的確だ。ランドセルを2回投げる場面では、2回目の成功の様子をあえて見せない。見せたらくどいし、そこで映すべきは成功するや否やその子が次の動作に写っていく躍動感だからだ。あるいは、泰明ちゃんの初登場時には足から映すことをせず、まず上半身の動きだけを見せ、トットちゃんが「あれ?」と思ったら足に視点が向かう。

この活き活きとした動きのつけ方と寄り添ったアングル選択によって、トモエ学園での「美しいものを見て触れて感じる」毎日を、本当にかけがえのないものとして実感できる。食事の前に歌を歌い、落書きを目一杯に描き、カラフルな弁当を綺麗だと感じ、リトミックで体を動かす。劇中で小林先生も述べているように、文化や芸術、教養こそが、人が人らしくあるということなのだ。

これを証明するように、前半で提示された「人らしい」行為が、後半では「人である」ための抵抗として反復されるという構成になっている。美しい曲を奏でる抵抗、ひもじさを紛らわす歌による抵抗、リトミックによる抵抗、読書による抵抗……。とあるシーンで『雨に唄えば』を意識した場面があるが、あそこはまさに「人が人らしくあることでおかしな世の中に抵抗する」ことの表現として素晴らしい。しかもそれがアニメーションという芸術による想像力豊かな表現で「色づけ」されるわけで、素晴らしい場面の一つだと思う。まさに「魂は奪えない」ということだ。

しかしそれでも、世界から確実に「人らしさ」は失われていく。そのなかで起きるある人物の死は、トットちゃんにとって象徴的な出来事だったに違いない。ここで注目したいのは、彼女が思い返す回想が、これまでの映像そのままではなく、何なら全く新規の映像もあったりするということだ。これによって、トットちゃんのなかでその人物がいかに活き活きと生きていたかが実在感をもって示される。と同時に、駆けていく彼女の周りには今まで見えていなかったものの姿が映り、生を剥奪する時代に向かうのだという実感が確かに示される。

この「駆ける」シーンは白眉と言ってもいいくらい素晴らしすぎた。それまでほとんど子どもの目線で描かれていた日常、その切り取り方があそこで急に広がり、ミクロとマクロが接続し、対比される。一つ一つのいのちの輝きと、それを確実に侵食していく時代の動き。画で語るとはこういうことだ。さらに言えば、ここでヒヨコの死に対して泰明ちゃんが述べた言葉が効いてくる。つまり、あの人は確かに「人らしく」生きたのだと。これが本作が示す反戦の姿勢でなくて何だろう。悲劇的な出来事ではなく、いのちの輝きそのものが、必然的に戦争を馬鹿らしいものだと実感する根拠たりうるのだ。

そしてその「いのちの輝き」は、言うまでもなく、前述したような豊かなアニメーション表現(=人らしくあろうとする営み)によって我々に届いている。ここでトットちゃんと我々もまた接続するのだ。思えば、彼女が初めて教室に入った際の空想のイメージで既に泣けてしまった。ラストシーン、その行先でも彼女は、そして我々は、その輝きを抱き続けられるだろうか。そんな含みを持たせて、我々も現実へと帰還する。

強いていえば、キャラデザを受け入れるまでにちょっと時間がかかった。おそらく昭和の童画のテイストを意識しているのだろうが、みんな化粧をしているみたいで変な生々しさは感じるかもしれない。あと、亡くなった人がああいうセリフをトットちゃんに投げかけるという演出も、若干ウェットにしすぎな感じはした。

ただ、キャラデザで判断して視界から外してしまうには惜しすぎる作品だ。『この世界の片隅に』と通ずる部分もありつつ、しかし本作は比較的裕福な家庭と教育環境に恵まれた子どもの目線で戦時を描いているという決定的な違いがある。当然ながら、軍国化の影響はどの家庭にも訪れるわけで、そのなかで「いのち」自体がある種の抵抗になるという切実さを描いているのだ。ちょっととんでもない作品だった。

※感想ラジオ
【ネタバレ感想】これはアニメ映画の傑作!『窓ぎわのトットちゃん』が描く抵抗としてのいのちの輝き
https://youtu.be/h7KKgaPLGnA?si=lpFOoJx7OwmsHTXW
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