肉浪費Xアカウント復旧無理ぽ

ミッシングの肉浪費Xアカウント復旧無理ぽのレビュー・感想・評価

ミッシング(2024年製作の映画)
3.7
狂ってしまった日本社会で幼娘消失の"責任"の行き場で壊れゆく「母親」の渦中に示されるは両親、夫婦の在り方、報道の在り方、『人間』の在り方

育児の息抜きに夫ではなく弟に預けて行方不明になってしまった責任・誹謗中傷全集中の母親、妻とは違いフラットな温度差があるように見える冷静な父親、事件当日近いからと娘を一人で返したと主張する犯人説が囁かれる妻側弟、長期に夫婦に取材し続ける人の血が通った倫理感のあるローカル局の取材担当のマスゴミと罵られるはずの"第三者"の視点が当事者と世間(視聴者)を繋ぐ役目を追う、

せめてもの"倫理"が今、現実にあるのか?

が問われた気がした弱ミステリーヒューマンドラマ

長澤まさみ『マザー』、新垣結衣『正欲』(は決して良い映画とはとても言えないけど)、に並ぶどころか、頭2つ分は抜けたかのような"イメージの破壊"を遂げ、『シンの女優』の産声を上げた本作…
見逃しておくべきか否や??😉

鑑賞日から一夜明けてレビュー書いてますが(いつもの事)、その余韻にて「+0.1」ですよ。
個人的にはヤだなぁ、キツいなぁと胸を締め付けられる思いで勿論見ていたけど、だからといってそれが評価に直結するような単純な感性は持っていないので、フラットに論じようと思っていましたが…寝起き一番にフラッシュバックするかのように"喪失感"が去來して(ああ…)とダウナーな感じに打ちのめされる気分を味わった。ことはつまり、時間差ながら"余韻"は確かにあった事の証明となります。無自覚にね😉

まず言いたいのが、今作は行方不明の娘さんがどんな形で行方が"判明する映画ではありません"。
そして、その必ず存在する"行方不明となる実行犯"が明らかになるミステリー映画ではありません。
ここがハッキリしないとなると、自分のように予告・キャストを丹念に見ないで鑑賞するようなタイプだと、平均評価に乗せられるような単純な感性を持ってない限り、賛否両論になる可能性は勿論あると思います。
"弱ミステリー"とは、家族・親族間での隠れた真実が明らかにはなりますが、それが直接結果どうあれ"事件解決に結びつくわけではない"のです。
そこからが、「ヒューマンドラマ」の"核"になるというか、より"責任の所在"が明確になりながらも、"元を正せば・・・"の原因が堂々巡りとなり苦しむ夫婦のリアルな生活、それに密着する者、密着することでさらにさらに苦しむ"当事者たち"を"眺める阿呆共(我々)"という、まるで"ドキュメンタリーの裏側"を見ている没入に誘われます。
とか解説していたら、評価莫大にならない・・・?(笑)

そして、同日に当作『ミッシング』と『湖の女たち』の二本立て企画(個人の)で観たのですが、このチョイスは素晴らしく良かった!
久しぶりの邦画通底の"ユニバース"発言が参りましたよ!とw
それくらい偶然ながらこの作品らには"共通点"がある。
1つは、"報道の在り方"という点。
両作、今作は中村倫也さんがローカル局の報道班、『湖の女たち』は新聞社か週刊誌の記者と両作とも「記者」が存在し、二人とも"視点(主役級)"として"報道の壁"にぶち当たる"葛藤"

もう1つは、『湖の女たち』で詳しく…はわからずとももっと書こうと思っている「ジェンダー」要素なんですよ。
まあ、こちらは"「男女」というより「夫婦」"の"性差"の観点で見ればひっっじょうに興味深いもので、「ジェンダー」うんぬんかんぬんとほげってきた『春画先生』から続いた"邦画スケベ映画"におけるダメ出しのように、必要・必須というより"男女で意見が虎舞竜おこしそうな企みの「意図」"がありそうなのが、脚本の面でも評価したいところw
とりあえず言えるのは、視聴者男女共にこの夫婦それぞれに批判的・反感的感覚を覚えても、この夫婦共になんとか堪えて自分の役割を熟そうと"必死"になったからこその"バイアス"を意識せざるを得ないニクイ演出になったかと思います。
青木崇高さんの本性つかみ取りづらい演技がむしろ良かった。

そして口を酸っぱく言いたいのは、この夫(父親)がダメだ、この妻(母)がダメだと断定してかかってそうではないことに自らを窘(たしな)める事ができたのなら…自身が本作の便所の落書キャー(匿名ネット掲示板)になったことを『自覚』する必要があると言うことです。

本編解説はこの辺にして、「石原さとみ」さんですよね。石原さん自身、産後直後の主演映画がこれとは…やりよる!!近い立場とはいえ、今までのアイドル女優(皮肉)歴をかなぐり捨てるかのような演技を"我が物"にできる…?
個人的にはもともと「女優」としては最近では、演技派なんて印象は端からなく、むしろ「irumo(docomo系)」のCMで悪印象の感じにさえなっていたのに、今作ではそういったプリプリの陽圧の強いイメージは皆無。
"顔が溶ける"かのようなマイナスの"破顔"をいっぱいして"全身全霊渾身"であることを間違いなく見る者に訴えかける演技をしています。
その点では、今作は間違いなく、少なくとも「日本アカデミー賞」"程度"では総なめは言い過ぎでも"主演女優賞"は確実視されるんじゃないでしょうか…これ以上の演技、邦画で今年頻発するくらいの土壌があるのか?って考えるのが逆に難しいくらいですw
こればかりは、「悲惨(半生)三部作(勝手に)」の杉咲花さん、持ち上げてはいますが譲らねばアカンぜよ…

ただ、石原さとみさんの母親役は本編で"ヤンキー説"が飛び出すくらい(過去は明らかでない)、毎日5ちゃんを模した掲示板をチェックしては傷つき、神経過敏、喧嘩腰の性格に見える演技(性格の変異?)をしていましたが、"とある人物"が一瞬思い浮かんだのが恥じ入るくらいくやじい゛のです…
某恫喝総出おばたんがモデルとかそういうのやめなーーー?🤬
という勝手な妄想で、当人物さえも証拠や事実があれど、やっぱり今作のようにマスコミによって"操作(脚色)・偏向"が少なからずある"被害者"の一面もあるでしょう。これとは別に、色んな事件の被害者で表に出て訴え続ける人物も同時に思い起こせるだけの、"現状(風刺)"が今の日本社会にあることが虚しくなってきます…だとしても"あの人"イメージなら"映画の罪"になりかねないからやめなーー?(笑)

ガッキーはまた『違国日記』という母親とは違うものの"母性"を意識させる違った挑戦役で、今年の"同年代女優映画"を賑わせそうですが、綾瀬はるかさん、あなたの番は…?変な髪型でスタイリッシュアクションや巨乳水着プリプリ言ってる場合でないで…😉(映画好きなんですけど)