ヨーク

キリエのうたのヨークのレビュー・感想・評価

キリエのうた(2023年製作の映画)
3.8
岩井俊二の長編作品は『ラストレター』以来の3年ぶりですかね。前作は結構好き好きな感じの感想文を書いたような気がするんだけど、本作『キリエのうた』は正直そこまでグッとは来なかった。まぁ面白いかつまんないかで言ったら面白かったけどさ、まぁ普通かな~っていうか『if もしも』で『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』が地上波放送されたのをリアルタイムで見てその数年後に『スワロウテイル』を見て、これ同じ監督だったのか~~~! となった人間からすればこれくらいの映画は撮るだろうという感じだったんですよね。上げてんのか下げてんのか自分でもよく分からないが。
しかし本作は長尺の映画でなんと178分、ほぼ3時間というランタイムである。宣伝やTwitterで流れてくる感想では「3時間が一瞬で終わりました!」みたいなのが多くて、まぁ個々人がどう感じたのかはそれぞれでいいと思うんだが短く感じたはさすがになくない? とは思ってしまったな。割りと実際の尺相応に長く感じたし途中結構ダレてるシーンもあっただろう、と思うのだがまぁそれは俺個人の時間感覚なのでどっちが正しいとか言う気はないですけども。個人的には本作を一瞬に感じたという人は寝てたんじゃねーの? くらいには思う。いつも映画を観ながら寝る俺が珍しく一睡もせずに観たら超長く感じたからな。
まぁ本作への不満点はその辺のこともあるんだが、とりあえず軽くあらすじを書くと、新宿南口の路上で歌っているキリエはある日一人の同世代の女の子に声をかけられたのがきっかけで知り合いになるのだが二人の間には様々な過去や人間関係があってあれやこれやと思い出したりしているうちにキリエちゃんがメジャーデビューするかもしれないししないかもしれないという状況になっていき、それと同時に過去と現在をひっくるめて背負ったうえで彼女たちがどうなっていくのか…というお話です。
過去と現在が交差しながら物語が紡がれていくというのは初期作である『Love Letter』の時点でかなり巧みに描かれていたが本作も基本はその構成。ただ『Love Letter』はちょうど2時間くらいの尺でややこしい人間関係も過不足なく描き切っていたのに本作はかなり冗長に感じた。事あるごとに回想が入って、まぁそこはそれありきな物語だからまだいいんだけどその回想がいちいちクドくてそこシーンとして見せてくれなくても想像で分かるよってところまで映像として語られるんだよね。俺はそれが作品全体のテンポを損なっている気がしてノレなかった。黒木華の演技は素晴らしかったが、正直大阪パートはもっと削れただろうと思う。挙句の果てには回想シーンの中で回想シーンが始まったからな。ちょっとそこは笑ってしまったぞ。週刊連載の少年漫画じゃないんだからそんな勢いだけで突っ走ってしまいましたみたいな構成になるのは何でなんだよ…。
あとは岩井俊二はどっちかというと如何にもなお芝居というよりもリアル調な描写が特徴的だが、本作でも大仰ではない現実的な雰囲気で各シーンが描かれているんだがその中に、いやそれはさすがに無いだろ、っていう引っかかるような描写が結構あったのも不満でしたね。一例を挙げると浮浪者っぽい感じのストリートミュージシャンと幼女が一緒にいるシーンでおそらく誰かが通報したのであろうが二人組の警察官がその浮浪者っぽい男に職務質問をして、その男が暴れている間に幼女が逃げ出す、というシーンがあるのだがなんとその幼女はその場から逃げおおせてしまうのである。おそらく親子に見えない雰囲気の子連れがいるということで警察に連絡がいったと思うのだが暴れ出した男を取り押さえるのはまぁいいとして保護対象になっているはずの幼女を二人いる警官のどっちもが見逃すわけねぇだろと思うんですよね。まぁ恐らく現場は大阪の天王寺地区だったのでその辺の警察官ならあるいは…とギリギリで思ってしまうところもあるが、でもやっぱさすがにそれはないだろと思ってしまうんですよね。警察関係の描き方といえば終盤の路上フェスのシーンもいまいちで、あそこもフェスの主催側に路上で音楽をすることに対する確固たる意志や思想があるわけではなくてただただ段取りが悪いだけじゃんという気の抜けたような印象にしかならない。タイトルにもあるようにキリエにとってのうたというものは自分ともっとも親しいものとを繋ぐ架け橋でありかけがえのない表現方法であるにも関わらず、映画としてのうたの最後の見せ場がいまいち締まらない感じになっているのはどうなんだろうなと思ってしまいました。事前に「許可はないけどコレコレな理由でライブは決行するぞ」というシーンがあるだけでかなり印象は変わると思うんだけど、回想シーンにはやたら尺を使う割にはその辺の説明が必要なシーンはないんですよね。
まぁそこらへんは本作への明確な不満点ですかね。でもいいシーンもいっぱいありましたよ。岩井俊二の十八番的なところではあるが、複雑に入り組んでぐちゃぐちゃになった人間関係とかは映画本編を観た後に俯瞰で思い直して、あぁ面白い関係性になってるなぁ、とか思ったりできる。あとは『ラストレター』の感想文でも触れたけどやっぱ10代の少女を描かせたら凄いですね。特に学校の制服を着た少女となると、これはもう世界でもトップクラスの映像を撮る人なのではないだろうか。なんなんだろうなあのリアル感のある女子高生は。昔インタビューかなんかで見たが『打ち上げ花火』のときは「子供たちにもっと早口で喋れ」と演技指導をしたそうだが、本作ではとっくに成人している女性を女子高生にしか見えないように撮っているのである。特に雪の中を歩く二人の女子高生のシーンが凄まじくて、二人の内の確か広瀬すずがその辺に落ちてた木の棒を振り回しながら歩いてるんだけど不意に「あ、これもう捨てちゃお」って言って木の棒を放り投げるんですよね。その女子高生感ったらもう! 凄いですよ! 10代のガキは男女に関わらずどうでもいいくだらない会話で盛り上がったりするけど、俺の経験上、女子の方は親しい人間といるときには独り言とも会話とも取れるようなことをわざわざ声に出して言うということがある、と思うんですよ。あの木の棒を放り投げるシーンはまさにそれで、岩井俊二ってもしかして女子高生なんじゃないの? と思ってしまいましたよ。なんなんだよ、この人。乙女かよ。『花とアリス』もヤバかったけど本作の少女描写もかなり凄いと思いますね。
それで思い出したが岩井俊二は少女の描写は確かに凄いけど、ペアや対として描かれる女性の描き方も凄いんだよね。渡辺博子と藤井樹、グリコとアゲハ、花とアリス、七海と真白。いわゆる百合的な描き方もあるし姉妹のような描き方もあるし恋敵であったり親友であったり、様々な捉え方ができる女性同士の関係性のバリエーションというのは本作でも健在であったように思う。岩井作品の男同士ではそこまで繊細な描き分けはないと思うんだよな。
そういう岩井俊二の個性とか、その良さっていうのは存分にある作品ではあったのだが、でも最初に書いたように過去作を上手くなぞっている感じはあるものの新鮮な驚きのようなものはなかった。これは『ラストレター』の感想文でも触れたので詳しくは書かないが、神戸千木の映像はほぼ完璧に岩井俊二の世界を映し出しているし何だったら90年代の岩井作品よりも映像そのものは美しいとさえ思うのだが、肝心の描かれているものがそこより先に進んでいるとは思えなかったんですよね。良く言えば集大成だが、悪く言えば焼き直しっていう感じなんですよ。神戸千木の映像と小林武史の音があれば誰でも岩井作品っぽい何かを作れるんじゃないかなとさえ思ってしまったよ。
まぁそういう感じなので岩井俊二が元々好きなら間違いないよってオススメできるんだけど、そうでもない人に強く推せるほどの作品ではなかったかなぁという感じです。でも上記したようにいいシーンはたくさんあったよ。二人が浜辺にいるシーンなんかはぶっちぎりで作中最高のシーンだったと思う。色々ぶん投げる形にはなるがあそこから雪のシーンに移って終わっても良かったんじゃないかなとさえ思うよ。
まぁ要すると、もっと色々切れるだろこの映画、って感じの作品でしたね。ディレクターズカット版とかは得てして劇場上映時よりも長くなることが多いけど、本作に関しては120分バージョンを観てみたいなと思いました。
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