いやーこれは面白かったですね! 予告編の時点でちょっとグッとくるところがあったのだが結果的には俺やっぱ良い眼してたわと自画自賛したくなるくらいには出来の良い映画であった。どれくらい面白かったのかというと本作は監督と脚本を務めたのは佐藤嗣麻子なのだが、旦那の『ゴジラ-1.0』より余裕で面白いじゃん! というほどの出来の良い映画でしたよ。ミニシアター系のものを除けば今年の大作邦画でこれを越えるものは出てくるだろうか? というくらいには面白かった『陰陽師0』でした。
ちなみに夢枕獏の原作小説は未読だが岡野玲子の漫画版は序盤だけ読んだことがある。序盤だけ、というのはまぁ当時中学生くらいだった俺にとっては渋すぎる内容だったのでそこまでハマらなかったということなのだが、超美麗な岡野玲子の作画は今でも『陰陽師』といえばコレ! というくらいには印象に残っている。ちなみに俺が漫画版の『陰陽師』にハマらなかった理由としては陰陽術を駆使した魔法バトル的な漫画ではなかったからというのが一番の理由だったんですよね。ま、当時の俺は中学生だったから外連味の強いバトルものを求めていたということですな。
だが面白いもので本作『陰陽師0』が面白かったのは正にそこで、陰陽術を駆使した魔法バトル的な映画ではなかったから面白かったんですよね。いや~、成長したな俺、って感じですよ。そう、本作はバリバリな魔法合戦が繰り広げられるような映画ではない。どっちかというとオカルト探偵ものとでも言おうか、平安時代の京の都を舞台にそこで起こった殺人事件を紐解いていくうちに大きな陰謀が…といったミステリ調の作品なんですよね。もちろんCGやVFXを駆使した呪術バトル的なものも描かれるがそれはちゃんと『陰陽師』という物語の世界の中にあるルールに即したものであって荒唐無稽な映像にもちゃんとそれはそうなるよなっていう理屈が貫かれている。そこが最高に良かったですね。本作では予告編の時点で作中のキャラ紹介以上に「ホグワーツ」の名前を出して世界観を見せていこうとしていて、俺はそこが、お? っと引っかかったのだが見立て通りにちゃんと陰陽術、もしくは呪(しゅ)というものを筋道立てて描いた映画だったのである。
一応あらすじも紹介しておくと、後に大陰陽師となる安倍晴明の若き日の姿を描いたのが本作である。ま、それだけでいいだろう。安倍晴明のことくらい詳しく説明しなくてもみんな知ってるだろ、ということを前提にして感想文を続けます。
んで本作で最も面白かったのが呪(しゅ)の描き方だったんだけど、映画冒頭ではその呪の説明が過多でそこにかなりの時間が割かれており、正直かったるいなぁと思っていたが観終えた後ではそこが一番大事なところだったんだなぁ、と感心してしまった。本作では呪というものやそれを用いた陰陽術というものは魔法的な超常の力ではなく催眠術や心理学の一種のようなものだとして描かれる。主人公であり後の伝説的な陰陽師である安倍晴明自身も自身の口から、そんな魔法みたいな力が現実にあるわけないだろ、と言って物語の導線である殺人事件に対しても非常に論理的な推理で挑むのである。
そういう極めてリアリズムな世界観の中で“呪”というものがどう描かれるのかというと、上記したように心理学や催眠術的なものの延長線上のものなのだが、例えばこういうことである。そこに一輪の花が咲いている、その花にはまだ名前が付いていないのだが、薔薇でも菊でもチューリップでもいいから一たび名前が付くとそれは薔薇になったり菊になったりチューリップになったりする。そういうことなのである。確かこの喩えは岡野玲子の漫画版に似たようなシーンがあった気がする。これは実にアドラー心理学だよなって思いますよ。つまりそこにあるのは事実の解釈である、ということです。これは映画内でも丁寧に説明されていたが、事実は客観的な出来事であり真実は主観的な解釈である、ということがある。その正誤はともかく、俺自身10代の頃からずっとそのように世界を捉えていたので、そのことを前提とした本作の呪の描写というのは非常に腑に落ちるものであった。
要するに本作は人の主観に作用する呪というものを非常に客観的かつ論理的に描き、それをミステリ仕立ての物語の中に落とし込んでいるんですよ。これは中々大したものですよ。だってそれって映画というメディアそのものを冷静な俯瞰の視点から描くということでもあるからね。上記したように本作の冒頭は冗長なほどに本作での呪というものに対する説明がされるのだが、観終えるとちゃんとそれが客を映画という呪にハメるために必要な詠唱だったのだなということが分かるのである。これ以上はややネタバレになるので詳しい説明はしないが、陰陽術なんてのは思い込みとしての呪の応用でしかないんだぜ? ということを散々やっておいて最後にあの展開なのである。それは映画に限らず物語という思い込みのハッタリが持つ力そのものの開放で、それに魅せられてしまうということは佐藤嗣麻子が施した呪に見事にハメられたということなのである。
いやー、お見事でしたわ。この作品世界の中でならこういうことは起こる、という説得力が凄まじい。まさに魔法にかけられたような映画であった。そして主観を通して世界に対するという主題の中で、自分を救うことができるのは自分だけである、という普遍的なテーマも浮かび上がらせるのだから大したもんですよ。
ヒロインがめんどくせー女だなおい! というところはあったがまぁそこもちょうどいいくらいのスパイスであろう。あと安倍晴明を演じた山崎賢人と源博雅を演じた染谷将太のバディ感ある掛け合いも楽しい。腐ってるとまでは行かなくとも男同士の友情に惹かれるお姉さま方にはたまらないところはあるでしょう。役者陣なら物語的に必要でもない異様な色気(監督の趣味なのだろうか…)を醸し出している北村一輝や加藤保憲の前世にしか見えない嶋田久作も良かった。文句といえば嶋田久作が陰陽術を駆使して暴れるシーンが無かったことくらいだが、それをやったら完全に魔人加藤になってしまうからやらなくて正解だったとも言えるだろう。
というわけで大変面白かったですね。俺はシリーズものとかあんまり好きじゃないけど、これは是非蘆屋道満編も観てみたいと思っちゃったよ。最初にも描いたが人によっては『ゴジラ-1.0』より全然刺さると思うのでオススメです。面白かった!