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エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命のMrOwlのレビュー・感想・評価

3.8
率直な感想は
日本人で良かった。現代に生まれて良かった。と思ってしまいました。
また、宗教って怖いが、信仰は支えにもなる、と複雑な感情も抱いた作品でした。
怖さは、家族とは引き離されてしまいますが、危害を加えられる訳ではなく、
むしろ衣食住を与えられ、教義を学び、周囲の大人も、悪い人ではない。同年代の仲間も居る。
居心地の悪くない環境によって徐々に少年の思想がキリスト教に傾倒していく、という怖さ。
キリスト教以外の情報が遮断される(情報がキリスト教しかない)、
俗世から隔絶されることの影響力の怖さを感じます。
一方で信仰の支え、尊さは、我が子を攫われてしまったエドガガルドの母が、終盤に見せる姿に感じました。

興味深い点は
キリスト教はユダヤ人であるイエス(ナザレのイエス)が唱えている。
しかし、本作の舞台となる1850年代~1890年代ではユダヤ教はキリスト教からみると異端とされている。
エドガルド・モルターラはボローニャで暮らしていたが、連れて行かれたローマは300km以上離れている。
当時の移動手段が馬車などであることを考えると、とてつもない物理的な引き離され方もしている点。
物語の舞台となった1858年~は、イタリア統一運動(1815年~1871年)の最中であり、
教皇国家がイタリア全土を統治していないこと。
当時ボローニャは、教皇国家の領地だったと思われること。
教皇と王国は対立関係にあったことなどですね。

長く権力の座に居るものは、その地位や影響力に固執する。
特にその勢いが衰えてきた時に。
聖職者と言えど、人間の権力に対する欲望からは逃れ難い。
そうしたある種の人間の醜さも描かれている感じが良かったです。

当時の歴史的な背景や、キリスト教やユダヤ教についての予備知識があればより深く映画に没入できると思います。
以下、参考情報です。

キリスト教とユダヤ教の違い。
キリスト教徒は、罪を悔い、信仰と行動を通してイエス・キリストを神、救い主として受け入れることにより、個々人が救済されることを信じる。
ユダヤ教徒は、伝統、儀式、祈り、倫理的行動を通して神と永遠に対話することにより、個人とすべての民が救われることを信じる。
キリスト教は一般的に三位一体と受肉を信じている。
ユダヤ教は神の唯一性を強調し、人間の形を取った神というキリスト教の概念を排除する。

時代背景は・・・
物語の舞台はイタリア統一運動(イタリアとういつうんどう、イタリア語:Risorgimento リソルジメント)の最中。
イタリア統一運動は19世紀(1815年 - 1871年)に起こった、イタリア統一を目的とした政治的・社会的運動。
当時の教皇はピウス9世(第255代ローマ教皇(在位:1846年6月16日 - 1878年2月7日)、カトリック教会の司祭)。
31年7か月という最長の教皇在位記録を持ち、イタリア統一運動の中で中世以来の教皇領を失っている。
フランス2月革命の影響を受け、イタリアでも立憲政治を求める市民階級が革命運動を広めると、
教皇自身は自由主義に次第に距離を置くようになる。
1848年3月にローマ新憲法を発布するが、内容が教会側の優位を認めた保守的なもので、人々の失望を集める。
監督が「突き詰めていくと、合理的な説明をすべて覆す人物像が浮かび上がって来る」と語っていますが、
それは映画の中で印象的な演出で示唆されている点ですね。
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