デッカード

枯れ葉のデッカードのネタバレレビュー・内容・結末

枯れ葉(2023年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

※2,200字になりました。



フィンランド、ヘルシンキに暮らす、もう若くはない男女が少しずつ近づいていく姿を描く。

お恥ずかしいのですが、私はアキ・カウリスマキ監督作品を観るのは本作が初めてです。
"作家性が強い"監督と言われている人だけに、自分の感性と合わなかったらトコトン合わないだろうなーと一抹の不安も感じながら鑑賞しました。
(ある方がXでポストされていましたが、"作家性"という言葉には観る側に創作者への先入観を植え付ける観る側の想像の自由度を制限するニュアンスが暗に感じられ、ほとんど"作家性"なるものを気にしない私にとっては少なからず違和感のある言葉です…)

スーパーで働き解雇される女性アンサ、アル中気味で仕事中も飲み続けている男性ホラッパ。
二人は名前も知らず惹かれ紆余曲折を得て結ばれていきます。
ストーリーだけを考えるととてもシンプルで淡々とし過ぎている印象ですが、二人の内面で互いの心情を想像しては自分の心がいろいろな方向にかき乱される様子は見ていて実にリアルで共感できました。

そして特におもしろいと思ったのは、二人のやり取りが終始アナログなことでした。
ラスト近くになって初めて携帯によるやり取りの描写はありますが、それまではほぼアナログ。
電話番号も紙ベースのやり取りだったりと、スマホどころか携帯電話すらなかった頃の、日本で言えば"昭和の恋のカタチ"への愛おしさが感じられました。
よくテレビ番組などでも言われることですが、"あの頃"携帯があったら消えてしまわなかった恋"が、実は自分にもあったことをほろ苦く思い出しました。
お互いの気持ちが直感的とも言えるストレートさでやり取りされている現代ですが、お互いの行動や言動から時間をかけてその心情を想像し会いたくなったり不安になったりしていたアナログな時代は、先に書いたように実はとても"愛おしく芳醇な恋の時代"だったようにも思えました。

作品全体の雰囲気には、小津安二郎の映画のような淡々とした中にある逡巡する人物が丁寧に描かれているように思えました。
カウリスマキ監督は小津安二郎監督のファンらしく描写のあり方にも納得できました。

色彩は常時基本的にはどこか寒々とした色使いが意図的に使われているのですが、そこに衣装や小物で赤系統の色が差し色として入っていて、上品な色合い、美しさを感じました。
登場人物の揺れ動く心情とともに、美しいフォトグラフのような風合いもこの映画の楽しみのように思えます。

色彩で目を引いたのは、二人がアンサの家の食卓で食事をするシーンでした。
最初はそんなにおいしそうな料理に見えなかったのですが、背景の色彩の美しさが絵画のようなことも影響していたのかもしれませんが、だんだんと食欲をかき立てられました。
結果的には二人はすれ違ってしまいますが、この映画でも印象に残る大切な場面のように思いました。

ジャンルに"コメディ"とありましたが、ときどき笑える場面はありましたが、そこまでではありませんでした。
しかし唯一ですが、ホラッパの友人のカラオケ王には笑わされました。
あの自信と歌唱力のギャップは、いわゆるベタなんですが、やはり王道の笑えるキャラクターとして存在感がありました。

劇中映画のネタがいろいろ出てくるのも興味深かったです。
二人が行く映画館も不思議で、ブレッソンやゴダールの旧作も上映しつつ、ゾンビ映画も上映しているところはフィンランドの名画座では当たり前なのかな?とおもしろく思いました。
(余談ですが、私はブレッソンとゴダールの映画は、昔観てよくわからなくて未だにほぼ観ていません)
二人がデートで観るゾンビ映画がジム・ジャームッシュ監督の『デッド・ドント・ダイ』なのは後で調べてわかりましたが、ジャームッシュ監督のゾンビ映画ということには少し驚き観てみたくなりました。
映画館の話に戻りますが、単にゾンビ映画ということではなくジャームッシュ監督作品だから上映していたのかもしれません。

また音楽も印象的で、登場人物が何気ない場所で歌曲を聴きその詩から自分の次の行動に移っていく姿は静かですがけっこう人生にはよくあることのように思え、それにも共感を覚えました。
いろいろな場面で使われていた音楽も多彩で印象深い映画でした。

最後に、やはり犬が出てくると映画がステキに思えてくるのは犬好きならでは、の鑑賞法でした。
アンサにすぐになつくかわいい犬が、アンサに寄り添う姿は健気でかわいくて愛おしかったです。
また、犬の名前が「チャップリン」なのもアンサが映画好きなことがわかり微笑ましく思えました。

映画はラジオニュースで終始ウクライナでのロシアとの戦争の状況を放送しているので時代が現代なのは間違いないのですが、途中、唐突に"佐川事件"が匂わされる場面がありそれの意味することが事件に対しての知識のなさゆえ理解できず残念でした。
佐川一政氏が述べた「男女間の愛は幻想であり、そのことがすべての過ちの原因になりうる。人は錯覚に基づき(中略)その錯覚が人間しか創造し得ない膨大な幻想を生み出しているとしたら、愛の過ちは素晴らしい人類への贈り物である」という言葉にこの映画が何かしらのインスパイアを受けたのだとしたら、この映画の偶発的な愛、あるいはあらゆる人に起こる突然の愛の感情、それがお互いに対する錯覚を引き起こすことが実は愛の本質ではないかいうことがこの映画のテーマだったのかな、と想像してみたりしました。
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