恐ろしい。その言葉に尽きる。
ヘス一家は裕福な食事をし、プールに入り、豊かな生活を送っている。けれど、その隣では列車の煙が広がっているのが見える。
服装も良いものを得ることができる。時々、ポケットのなかに化粧品など他のお宝も得ながら。その隣で、黒煙が広がっていく。
彼らはそれを"荷"と表現する。一体、二体と言いながら。
ヘス一家の豊かな生活の隣で、悲鳴と銃声が時折響く。
そしてずっと、ずっと、黒煙が広がる。
その列車の煙は何を…誰を乗せているのか。
黒煙は、何を…誰を燃やしているのか。
彼らの得る衣服は"本当は"誰のものだったのか。
その持ち主はどうなったのか。
その悲鳴は。銃声は。
どうして、響くのか。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ私は訪れたことがある。
一度は、必ず行かなければと思ったからだ。
ヘス一家にとって無関心の黒煙が発生する場所へ、私は足を踏み入れた。
踏み入れた瞬間、言葉に表すことのできない恐ろしさ、憎しみ、悲鳴を感じずにはいられなかった。
展示されている数々の靴、服、鞄。
壁の献花。無惨に、無慈悲に、理不尽な死のあと。
アンネフランクが、いたとされる場所。
彼、彼女たちは人間だ。ヘス一家と同じ、ただの人間。
決して"荷"ではない。生死の優劣もない。
私たちと同じ、ただの人間だ。
訪れてからずっと忘れられない。今でも鮮明に、はっきりと、あの言葉にできない世界を思い出す。
この映画を見た時、煙を、見るたびに。思い出す。
忘れてはいけない。
関心領域。原題ではThe Zone of Interest。これほど、現代への問いかけはない。
的を得すぎている。
そして、この映画に対する印象は第二次世界大戦時のホロコートがどういうものだったのかをどれだけ知っているかどうかで変わるのだと思う。
まさに、私たちの今までの"関心領域"が、この映画の見方を変える。
今、世界はもう一度このような残酷な世界へ歩もうとしている。
私たちの関心領域は、どうだろうか。
世界の、関心領域はどうだろうか。