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システム・クラッシャー/システム・クラッシャー 家に帰りたいのののレビュー・感想・評価

3.8
ただ、愛してると抱きしめてほしかった孤独な少女の叫び。
ベニー自身を正面から向き合えない大人たちにショックを受けつつも、もし同じ境遇であれば自分自身はこの大人たちのようになるんだろうと自分が嫌になった。
ベニーは、ただ、彼女自身に向き合う大人から安心する言葉とぬくもりが与えられたかっただけなのに。彼女はまだ幼く、己のトラウマに関して明確に言葉にはできない。どうしてほしかったのか、これからどうしてほしいのか。本当の意味で言語化はできない。
周囲の大人に心を許しても、裏切られてしまう。大人たちは、体裁や自分たちがどう見られるのか、疲れなくてすむのか。そうした物差し一つですぐにベニーを"めんどうな子"にしてしまう。誰も彼女がどうして心を抑え切れないのか知ろうともしない。何とかしないと、と思うのであればもっと根本的に彼女自身の心に寄り添う必要があった。
大人たちは最初はそうしようと試みたんだろう。でもやはり、自分たちが可愛いのでベニーを"めんどうな子"と片付けてしまう。
付添人のミヒャの台詞で「自分であればどうにかできると思い上がっていた」というものがある。これを聞いた時、心理学者 河合隼雄先生の言葉を思い出す。本当に根気強く、心を砕きながらも、何処か離れていなくてはいけない。自分の利己的な思考が少しでも表れたなら、繊細な少年少女にはそれにすぐに気がつくのだ。コントロールしている・できていると思うほうが大間違い。
そもそも人は、何かの型にはまるものでもない。大人になるにつれて、無理に社会という型に押し込められているにすぎないのだから。
ベニーの、最後の走りが、全てを物語っていた。

余談だが、本作を観ていると子供の内なる感情の根本的テーマが異なるが子供の複雑かつ形容し難い気持ちとしての叫びという点で「ブリキの太鼓」を思い出した。「ブリキの太鼓」に関してはかなりの直接的かつ子供ながらの醜悪性の書き方がどストレートなのでかなり体力を使ったが。類似しているなあと思う点も多く、2作品ともドイツ映画なのだから、面白いなと思ったりした。
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