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裸足になってのBATIのレビュー・感想・評価

裸足になって(2022年製作の映画)
4.0
映画はしご二本目はムニア・メドゥールの「裸足になって」とても良かった。「パピチャ」(これも素晴らしい映画)に続いてアルジェリアの女性差別、迫害が描かれる訳ですが、主人公のバレエダンサー、ジェーンが強盗より窃盗と暴力を受けて心因性障害で言葉を発することが出来なくなるという衝撃的な設定に始まる。それはつまり「女性がら声を上げることができなくなる」ことのメタファーなのは深読みしなくても分かることで、冒頭、ビヨンセのSingle Ladiesに乗せてジェーンやバレエ教室の仲間と歌い踊るシーンからして、アルジェリアで生きる女性たちに向けて送っている、自由に生きることをやめない、誰にもやめさせないという意思の塊のような作品でした。「パピチャ」に続いてリナ・クードリが主演なのですが、彼女の強い視線、それと同時にに不安や恐怖を全身で表す演技が素晴らしく、それでいて「声を出すことはできないが、私は踊り続ける」と表現することをやめない佇まいが舞踏することで表されていて、言葉以上に力強い演出となっていました。そして彼女の母、幼なじみ、ろうあ者たたの施設の人々と女性が助け合い慈しみ合う姿が陽的に描かれており、その連帯に心底感動してしまう。この感じ、シスターフッドというよりは「燃ゆる女の肖像」に近いと思っていて、レズビアニズムの作品ではないのだけど、あそこで描かれた歌い、自然に女たちがシンクロしていく「場」が生まれている、それは自然発生であり必然性を帯びており、やはり言葉なしに同期しあう姿というのがとても気持ちがよい。それと同時にアルジェリアの女性たちはそうして自分たちを支え合っていたことを現しているのだと思う。内戦の傷も癒えない国というだけあってテロの問題も出てくる。平和になったようですぐそこに暴力が蠢く貧しき世界であるのは事実で、「パピチャ」ほど陰惨ではないが、その恐ろしさは確実にある世界だ。監督のムニア・メドゥールは前作よりも映画作りが上手くなっていると思う。どう表すのか、何を語るのか、そのために必要なものは不用なものは何かということを分かりやすさをもって表現している。それはつまり会話であり説明で、観た人間へ届けようという誠実さに溢れている。観終わったあとにこの続きの時間を見たい、見せて欲しいと思ってしまうのも「パピチャ」同様で、そう思ってしまうのも計算のうちなのかもしれない。「この物語に終わりはない」ということを描いているような気になったのでした。しかし、「アシスタント」とハシゴしてよかった作品だった。順番もこっちを後にして良かった。声を奪われる女の話をらこうして続けて見ることができたのは、それだけ声を奪われている女性が大勢いるということだから。
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