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瞳をとじてのミラーズのレビュー・感想・評価

瞳をとじて(2023年製作の映画)
5.0
「独裁者フランコへのレジスタンス的映画でもあった『ミツバチのささやき』から引き継がれたものと解放された映画」

失踪した俳優と監督の関係を軸に紡ぐ人間ドラマとしての側面と創作や映画に憑かれて漂う人(エリセも)思いの吐露の側面もある。

本作は大まかに三部構成になっており、発端となる冒頭の映画場面の虚構と映画を創れない現実の監督ミゲル(エリセ本人の分身)がテレビの為に失踪した俳優を探す前半のやや閉塞感も伴う部分と、今の生活拠点でもある風光明媚な海辺の町での中盤の生活描写の転調を挟んでからの老人ホームでの再会と顛末

寡黙な語りだと思っていたエリセ監督作品だが、本作は美しい映像と意外な程の会話劇がベースになっていて、多くのアメリカ映画への映画少年の様な憧れやリスペクトに溢れておりその面でもニヤリと出来る。
怪しげな東洋人(中国と日本が混じった例のヤツを確信犯でやってる)を連れた富豪に娘の捜索を依頼する男と探偵の映画なども、40年・50年代あたりのフィルムノワール(サミュエル・フラーとか)を連想させる部分や娘の捜索と言えば、ジョン・フォードの名作西部劇『捜索者』を、連想させて西部劇への引用と目配せが、ところどころある。
ミゲルの旧友でフィルム保管と映写を担当するマックスも「コマンチの襲撃か」やその多くがスペインの荒野で撮影されたイタリア資本の西部劇でもあるマカロニ・ウエスタンなどの西部劇ネタを口にする。

中盤でのミゲル(英語読みマイク)監督がギター片手に歌うのは歌詞は違うが、カントリーソングの「ライフルと愛馬」で、ハワード・ホークス監督の西部劇の名作『リオ・ブラボー』の完全な引用で、その衒いの無い屈託さに驚くが、ミゲルの相棒の漁師が紙巻きタバコを嗜むところも合図だったのか?と思うと納得。(リオ・ブラボーでは紙巻きタバコが重要な小道具として描写される)

若干重苦しさもある序盤から海辺の居住地でのほのぼのとしたやりとりからの、老人ホームでの静かなサスペンスと意外にも緩やかなユーモアもあり娘が、父親と邂逅する場面では、『ミツバチのささやき』や『エルスール』などの過去のエリセ作品を捉え直す描写が含めなかなか映画を撮ることが、叶わなかったエリゼ監督の想いが溢れていると感じてそこで万感の想いにとらわれる。

記憶を失ったフリオに未完成の映画を、見せる為に町の映画館を復活させて上映するくだりは、エリセの過去作へのデジャブもあり、所謂「ニュー・シネマ・パラダイス」調な流れももしかして賛否がでるかもしれませんが、映画ファンなら微笑ましくなると思う。

思えばフランコの独裁政権では、表現の自由は規制されていて、その独裁体制へのささやかなレジスタンスの映画でもあった『ミツバチのささやき』(これは監督自らが、のちのドキュメンタリーで説明してる)から、当初は原作の映像化で3時間の予定だったのに予算などの事情で現在のかたちになった『エル・スール』などの制約にやって出し切れなかった思いを引き継ぎ解放された映画だと思う。
 
予想以上に映画についての映画で、緩やかテンポだが、確かな演出と絵作りで、映画からの引用もある映画ファンへ向けた良作
あと尺が長いの声もあるけど30年待って、この出来なら長いとは思いません。(転調もあり2部作風でもある)