MM65

哀れなるものたちのMM65のネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

どう足掻いたってフェミニズムから切り離せない映画である。バービーよりも、より肉体的な切り込み方だったなと感じる。トリッキーに見えて実はすごくシンプルで、一人の女性が自分の意思で、自分の肉体で進歩していく、そこに他者や世間の介在する余地はないんだという、当たり前すぎるけどそれを忘れてやいないか?ということを、ベラの眼差しで思い知る。


ベラの性的な目覚めは、胎児の脳だとしたら早すぎるのでは、とずっと違和感があったけど、ああこれはヴィクトリアの肉体の記憶だったのかもしれないな、と思った。そして、女性性を決して否定しないことでもある。

バービーを観ても思ったのは、決して「子宮(あるいは女性器)を持つ人間」であることを否定しないということである。女性も愉しんでいる、という下品な切り口ではなくて、その人個人の資産としての肉体。
そしてこの映画がトリッキーなのは、ベラが始めから成人女性の体で生まれてくる点と、その肉体が、ベラの母親のものだという点にもある。
ベラの母親は、出産を放棄する。本当なら産まれえなかったベラは、ゴッドの手によって産まれる。彼女はもちろん自分の自由意志で歩き出すが、一方で、母親の肉体的な記憶もおそらく保持していただろうと思う(早い性的目覚めがあったように)。
でも、ベラは旅を通して、自分を知り、世界を知り、母の肉体を自分のものとして征服して、自分のやりたいこと=進歩のために歩き出す。(少し論点がズレるが母からの解放かもな、とちょっと思う。母親と同じ道を行く必要はない。)


だから、この映画はとてもトリッキーなやり方で、でもとってもシンプルなことをしたんだと思う。一人の女性が生まれて、自由意志と肉体を獲得して、いろんなものを見て成長し、進歩していく。そこに他者の意図や操作が介在する余地は無い。


実は映画を見終えた時、フランケンシュタインのことを思った。フランケンシュタインについて、わたしが想うのはベラではなくゴッドである(ウィレムデフォーの演技はいつも本当に素晴らしい)。
人間に生み出されて怪物として忌み嫌わられ迫害されてしまう哀しい生命。ゴッドはセックスではなく科学的なやり方で娘を産んだ。ベラを産んだ衝動は科学者としての欲求だけでなく、自らと同じような存在を創り出したかったからかもしれない。もう一人を産んでしまうのはものすごく愚かで、哀れであるけれど、彼は驚くほどの慈愛がある。身を投げた女を蘇生させるのではなく殺してやるのは、生きることの辛さを知っているからこそかもしれない。「生きていればなんとかなる」というのは安い慈愛かもしれない。


言わずもがな、エマストーンの素晴らしい演技に拍手を贈る。
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