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哀れなるものたちの667djpのネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

ランティモスお馴染みの悪趣味さや6mmの画とかお家芸的に使われるようになっていて、それはまぁそれではいはいと観ていた。ただその悪趣味≒アンモラルな寓話的世界から教条的な展開にかなり真っ直ぐ進んでいく流れがなんか残念な気がしてしまった。

もちろんベラが既存の価値観を壊しながら知恵と自由を勝ち取っていく様は気持ちが良いんだけど(エマ・ストーンの変化していく演技すごい)リスボンまであったスチームパンク感とかだんだん無くなっていくのがなんかもったいないなぁと。

ランティモスが特別好きって訳じゃないけど、聖なる鹿殺しやロブスターの頃の心底イヤーな感じが今作ではかなり薄めてあって観やすい。それは多分脚本のトニー・マクナマラやプロデュースチームの賞を取りに行こうという意志のような気がして、その辺良し悪しあるなとは思った。

音楽がめちゃくちゃいい。

少しだけフェミニズム的な観点で語られている作品なので、個人的に感じた点を指摘すると冒頭のロンドンでの圧倒的なまでの被害者性。そもそも勝手に脳を移植されて監禁されて幼児結婚させられて。そこからの成長譚としての旅。この辺りはダンカンのキャラクターのステレオタイプさ、本を捨てる男、世界の不均衡を表すメタファーなど記号的過ぎる節があった。

一番自分が疑問に思ったのは創造主たるゴッドの罪に関しては死に際とは言え何故かスルーされるところにある。彼にアンビバレントな感情がベラにあるのかわからないが赦しが前提になっている。
普段の自分だったら赦しの概念無しに作られた映画について異議を持つのだが、今作は逆のことが起こる。むしろわかりやすい前夫の存在を悪とみなして成敗する様を立たせていることに、そっち?というなんとも言えないズレを感じた。

確かにゴッドは父親からの被害者でもあり、生殖能力がないため、ベラに対して性加害的な存在ではない。が、彼のその歪で独善的な研究と監禁がベラの幼児期の個性を固着させているはずで、その意味で真にベラが対峙すべきは「父」たるゴッドではなかったのか。
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