雷電五郎

ラン・ラビット・ランの雷電五郎のレビュー・感想・評価

ラン・ラビット・ラン(2023年製作の映画)
3.4
映像と音楽で不気味というより不安になる雰囲気が非常によく作り込まれていて、人物と物語のレイヤーが視聴者の考える視点とは異なっているため分かりにくいともいえますが、個人的には好きな作品です。

ホラーよりのスリラーといったところで、この話をサラの視点のみで見ると彼女にとって都合の良い話になっていると感じます。
端々にあるサラの仕草や表情、時折恐ろしく感じる視線などなど、随所にある「違和感」が、サラの視点を信じてよいのか疑念を抱かせる仕組みになっていると感じました。

殺害した妹の幽霊による復讐、というのはサラにとってすれば罪悪感を軽くすることができる都合の良いシナリオになります。
ですので、サラの視点を信じないことが実際起きていた事実を想像する鍵になると思います。

まず、冒頭ではミアと仲良くやっていたサラでしたが、精神的支えとなっていた父を失ったタイミングで名前で呼ぶ程他人行儀な母がいる介護施設から連絡がくる。
そして、ミアの誕生日会でかつての夫が現在の妻とは2人の子供を設けたい(サラと夫婦の時は1人だけと約束したのに)という話がされ、この描写以降、ミアの態度が一変します。
ミアの態度が変わった段階で実際はサラがミアを虐待し始めたのではないでしょうか。サラはそういった自分に都合の悪い事実を記憶の底に押し込め認知しないようにしている節が度々あります。

後半、気絶したまま床に描いた黒い絵(クローゼットの中の様子と思われます)はサラが描いていたことが判明し、彼女は記憶と乖離した行動をとっていることが窺い知れます。

ミアを呼ぶ際に度々「バニー」という愛称を口にしていたサラにとってウサギは害獣であり罠を仕掛けて駆除する対象です。
バニーは子ウサギのことを指し、ラビットは野うさぎを意味しているので、ウサギよ走れというタイトルからするとミアに母の元から逃げることを促しているともとれます。

母親に可愛がられるアリスを嫉み、いじめていたサラはある日アリスを崖から突き落として死なせてしまう。
父親はそれを目撃していたがサラを守るため失踪したと嘘をつき「お前は良い子だ」と言いきかせていた。
しかし、アリスを諦められない母親の態度がサラを追いつめ、彼女は父親と家を出た。
その後、父親の死により、アリスに似たミアを見ることで妹を死なせた罪悪感にさいなまれ、封じ込めていた記憶が蘇る度に精神的に不安定になり、罪悪感と罪の記憶を排除する防衛本能で虐待する自分と理想とする自分を乖離させていたのではないかと思います。

しかし、実家を訪れたことで症状は悪化、ついにはミアの父親であるピートを殺害してしまうに至った、というのがラストではないかと。

実際にアリスの幽霊がミアに取り憑いたのではなくサラの罪悪感の投影だったのではないでしょうか。
アリスに似たミアをアリスとして扱うことで虐待の事実を忘れ、娘がおかしくなった・反抗的な態度をとった=つい手をあげてしまった、と自分に嘘をつける訳です。

アリスと手を繋いで歩いていくミアの姿は、最初アリスがミアを救うため連れ出したとも思え、最終的にミア自身は命が助かったのではないかと思いましたが、よくよく考えてみると、サラが外に出て追いかけなかったのは既にミアが死んでいて手の届かない存在になったから、ともとらえられますね。
仮にアリスの幽霊が本当にいたとするならば、おそらく、このラストのアリスだけなのではないかと。

親の偏った愛情が姉妹間に憎悪をもたらしたことに加えて、野うさぎ(動物)に対して慈愛を持たないサラには生来の凶暴性があったのではないかと思われます。それらを抑制していた父親の死と、アリスのことばかりを気にかける母親の無関心さがサラをこのようにしたともとれます。

ことあるごとに「なぜ?」と問うミアのセリフはサラの自問自答にも聞こえますね。

なんとも不穏な空気に満ちた緊張感のある映画で楽しめました。
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