arch

スキンレスナイト ―デジタルレストア版―のarchのレビュー・感想・評価

4.3
AV監督だった望月六郎の自叙伝的な自伝作品。

昔映画を撮ろうとしていたが、いつの間にかAV監督になっていた主人公加山の仕事と家庭とスランプを描いた作品になっている。
この作品自体が、監督の実体験の反映で作られた映像作品であるように、加山もまた自分の体験をAVや件の自主映画に反映させていくスタイルなのが面白い。それは一見して現実で実現できなかったことを映像作品という形で昇華させる行為なのだが、この映画だと実際にその行為を加山が現実に再現していく。元恋人との再会からの金魚が死ぬまでの制限付きの不倫なんかがそうだ。
現実→創作→現実の行き来を通していく過程は、『伊豆の踊子』の舞台となった民宿で『伊豆の踊子』と現実が重なりあう展開への行き着く。その瞬間、彼にとって妻や娘が"踊り子"となり、書き途中の脚本を妻と再現することで家庭問題は一旦落ち着く。ここが本作屈指の名シーンだ。官能的で純粋で、何より正直。 対症療法なのか、原因療法なのか。定かではないのだが、『8 1/2』とは違い個々人として向き合う姿は、向き合うことが気恥しい大人達を想うと感動的だ。

作品を撮ることそれ自体のセラピーとしての機能はもちろん、創作とは現実には出来ない欲望や願望の発露であり、ついにそれを現実でやってしまう危うさも描かれる。だが一度落ち着くと現実での葛藤は熱量として創作への注ぎ込まれていく。現実と創作の卑近で本質的な相関がここにはあるのだ。こういった『8 1/2』的な「映画は造り手の為にある」という類の映画は沢山あるが、本作はまさにそれ。映画は映画の造り手の為に生まれ、観客は勝手にそこに運命や意味を見出す。その片想いな関係が自分は映画のあるべき姿と思っている。



不倫を扱うために嫌さは確かにある。特に主人公加山のモラハラ感や自己中心的な振る舞いも現実で会ったら絶対に嫌なタイプである。
ただそれでいて、観ていられるのは、石川均の演技力の賜物であろう。映画中、途端に俯瞰視点になるのだが、だいたいそれは加山の長い1人セリフの時。結構無茶苦茶で周りを振り回す人間なのだが、そのセリフから漏れ出る憎みきれない愛嬌や妙に小物でガキっぽさ。二回その長ゼリフ×ロングショットのシーンはあるのだが、どちらもバッチリ面白いシーンになっている。

スランプに入った加山は何故か結婚する前へと回帰していく。映画を撮ろうとしたり、元カノをストーカーしたり。結構面白いのは多分昔好きだっただろうバンドのライブ音源を繰り返し聴いている場面。あのう立つの上がらない、生産性のない時間を過ごしてる感じが愛おしいのだが、そんな場面に代表する大人が昔にしがみついている感じが全体に通底してある。彼の友人である4人組との少ない交流も良く、本作の哀愁を引き出している。


まだ斜陽産業になりきっていないアダルト業界。『グッドバイ、バッドマガジンズ』までの変遷に思いを馳せたくなる映画でもあった。
arch

arch