やすやす

6月0日 アイヒマンが処刑された日のやすやすのレビュー・感想・評価

3.9
中学生の時に一冊の本を夢中になってむさぼり読んだことがある。
それは落合信彦著「モサド、その真実」
モサドとはイスラエルの諜報機関。
文中にはアイヒマンに関する記述があって南米に亡命中のアイヒマン拉致を指揮した当時のモサド長官が落合氏に語った言葉が今も胸に焼き付いている。
「アイヒマンは何の信念も持たない自殺する勇気さえ無い
ただの臆病者であった。こんなつまらない男に多くのユダヤ人
が殺されたことを思うと本当に残念でならない」(正確ではないかも)
いわば小物感がハンパない男。
この本を子供の頃に読んだことにより私の中に
イスラエル=正義の図式が植え付けられてしまった。
別に落合氏はイスラエルが絶対正義と主張していた訳ではない。
ユダヤ国家を必死で守ろうと戦った人々を描いていただけだ。
でも当時は今と違って知識を得る手段が本以外に無くたまたま出会った一冊により悪い言葉で言えば洗脳されてしまったのです。
その後、イスラエルが多くのパレスチナの民間人を殺した
ニュースに接しても「テロリストが紛れているからだ。仕方の
ないことだ」と正当化する自分が今もまだいたりする。

「小物感がハンパない」アイヒマンの裁判、処刑はナチスの蛮行を世界に改めて知らしめる一大ショーだったのだろう。
そして虐殺、迫害されたユダヤ人自身による壮大な復讐劇でもある。
この映画がイスラエル、ユダヤ人によるプロパガンダなのかは
分からない。
最近では敵対する勢力からはイスラエルはナチスと同一視されることもある。
そんな世の中の風潮に一矢を報いたかったのだろうか。
それともユダヤ人よ、虐殺の記憶を忘れてはならないと言いたかったのだろうか。
解釈は観た人に委ねられている。
私の中学時代と違って今はネットで何でも調べることが出来る。
少しでも疑問に思うことはググればいい。多様な意見に接する
ことが出来るので簡単には洗脳されることもないだろう。

この映画で描かれていたのは幸か不幸かアイヒマンと接点を持つことになった極々普通の人々。その後の人生にどの様な影響を与えたのかが重要なテーマだがそれもほとんど描かれず不明なまま。
ただし登場人物が極めて重要な歴史的な出来事に立ちあったことだけは紛れも無い事実。
実は今この世界に生きている私達もみんなが生き証人だと気づかせてくれる。東日本大震災、原発事故、コロナ流行、ウクライナ戦争…
後の世からみれば私達はみんな歴史の体験者であり目撃者なのかもしれません。
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