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映画ドラえもん のび太の地球交響楽(シンフォニー)のmaのレビュー・感想・評価

4.3
リコーダーの練習に嫌気がさしたのび太は、ドラえもんのひみつ道具で音楽の授業を消そうとするが、誤って〝音楽〟そのものを消してしまう。ドラえもんに対処してもらい、再びリコーダーを練習しなければいけなくなったのび太がひとり河原で演奏していると、不思議な少女がやってくるのだった。


冒頭までののび太の「音楽なんかなくなっても困らない、なくなりますように」という短絡的な思いとは裏腹に、人が音楽を愛する理由、音楽をただ消費するのではなく楽しむ意義が描かれる。

音楽は、ただ上手であったり、賑やかで楽しげであればいいわけでもなく、孤独や悲しみに寄り添おうとすることも必要だし、なによりも自分自身が音楽を楽しむ心が大事だということが丁寧に示されていた。

のび太たちが音楽の楽しさに目覚めるシーン、そしてさらにクライマックスのオーケストラは圧巻。映画「音楽」を観たときのように、音楽の本質を目の当たりにした気がして涙が止まらなかった。

ストーリーに関しては、露骨な伏線、無理な展開や掘り下げの甘さは目立つけれど、その分を音楽方面に振っているのだとすれば目を瞑れる。理屈は抜きにして、皆で音楽を楽しむ。それこそがこの映画の醍醐味だと思う。

コロナ禍、リモートで音楽を繋ぐ人々を見てインスピレーションを受けたという今井監督。世界情勢に配慮してか、今作ではのび太たちや地球に対して悪意を向ける敵は登場しない。ドラ映画のワクワク冒険・バトルパートが大好きな人には今作は物足りないだろうし、ある理由でしずかちゃんファンの中には納得がいかない人もいるかもしれないが、監督がやりたいことを詰め込んだわりにはきれいにまとまっているのではないか。


世界は音で満ちていて、その響きを楽しむことができればそれは音楽になる。

しかし音楽は万能じゃない。生きる道に音楽が届かない人もいる。鬼龍院翔がかつて「NO MUSIC NO LIFEという言葉が嫌いだ」という旨を書き残していたのを何度も思い出す。20歳のころ彼が好きだった女の子が、耳のきこえない子だったのだ。音楽とは何なのかと、ずっと考えていたと。映画「コーダ」でも、ルビーの家族にとって当初音楽は、振動を楽しむ程度のものでしかなかった。

しかし今作は、〝音楽=ファーレ〟を原動力とする不思議な文明を舞台にすることで、音楽の持つ力や、その楽しさ、自由さを可視化してみせた。わたしはこれがフィクションの強みだと思うし、「あんなこといいな できたらいいな」をかなえるドラえもん映画の、すこし・ふしぎな世界に子どもから大人までもが惹かれてやまない理由なのだと思う。

いまこれを書いていて、わたしはあのときそれに気づいたから涙が止まらなくなったのだと分かった。


音楽とともに人生を歩んでいるわたしは、今日たまたま着ていった大好きなバンドのグッズであるトラックジャケットをまたすこし誇らしげに思いながら、10月の武道館のチケットが取れるよう、強めに祈る。

そしてどうか、ほんのちょっぴりでも孤独や苦しみ、生きづらさを抱えるすべての人に、音楽のような癒しが降り注ぎますように。
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