ma

カラオケ行こ!のmaのレビュー・感想・評価

カラオケ行こ!(2024年製作の映画)
4.5
「ピカピカや」

合唱部の部長を務める中学3年生の岡聡実が出会ったのは、ミナミ銀座のヤクザ・成田狂児。狂児には絶対に歌がうまくならなければならない理由があり、偶然通りかかった合唱コンクールで見つけた聡実に白羽の矢が立ったのだった。


わたしは原作「カラオケ行こ!」ならびに続編「ファミレス行こ。」、そして和山やま先生の大ファンである。

劇場で観てみたい気持ちと、どうしても生まれてしまう実写化への不安、綾野剛への猜疑心がせめぎ合い、そしてシンプルに体調が悪い期間が重なったのでスクリーンで観る機会は逃したが、とんでもないスピードでサブスクに登場してくれて助かった。

初鑑賞のあと、わたしはなんともいえない思いに包まれ、少なくともこれは実写化の最高峰ではないし、なにかが異様に悔しい、みたいな、ぐしゃぐしゃとした感情に悩まされていた。だけど最悪だったというわけでもなく、ただただ心がモヤモヤしていて、観終えてすぐに原作を読み返した。

もういちど観てみようと2回目を終え、今。書き出して心を整理してみようと思う。


そもそも、和山先生の作品というのは、癖の強い人物たちが織り成すシュールな笑い、特に台詞がとても魅力であって、「カラオケ行こ!」の原作は特にモノローグがとても重要(モノローグが多い理由は終盤で分かる)。

映画ではもちろん聡実くんの心の声は聴こえないぶん、面白さが半減するのではと、わたしは公開当初からとてもハラハラしていたのだ。大好きな脚本家のひとりである野木亜紀子さんがその腕を振るっているとしても。

心配でいえば、キャスティングにも若干の不満はあった。綾野剛への猜疑心があったと前述したけれど、容姿だけで判断すると綾野剛は狂児ではない。成田狂児のあの飄々とした感じは、綾野剛には出せないと思ったからだ。

しかし観てみると、綾野剛の狂児は確かに狂児だった。漫画の中の狂児とは似ても似つかないのだけど、それでも彼は狂児だった。人たらしな軽やかさはそのままに、ほどよくしなやかで、やさしさの中にどっしりとした凄みがある。よく考え、研究して演じてくれたことが伝わり、綾野剛の好感度がわたしの中でかなり上がった。

原作で聡実くんが「終始裏声が気持ち悪い」「一生歌われない方がいいのでは」と言い放った狂児の紅は、紙だとさすがに想像ができなかったのだが、綾野剛が全力で見せたそれは確かになかなか気持ち悪く、衝撃的だった。

ヤクザ陣はカスの兄さんがやべきょうすけ、週末ヒロイン兄貴が橋本じゅん。キティちゃん恐怖症がチャンス大城だった。チャンス大城、そういえばさんまのお笑い向上委員会か何かで出演を告知していたが、すっかり忘れていたのでめちゃくちゃ笑った。組長は光石研くらいの年代が来るかと思いきや北村一輝。

そして肝心の聡実くん役はなんと一般オーディションを勝ち抜いたという齋藤潤くん。瑞々しくてとっても可愛い。原作の聡実くんほど見た目がシュッとしていないため、余計に〝反社の人間につきまとわれるいたいけな中学生〟という構図のヤバさが際立つ。

反社が子どもに関わるな!と鼻息を荒くする大人もいるかもしれないが、そんなことは聡実くんも、そしてきっと狂児も分かっているのだ。(映画のラストとは違い、原作では狂児が高校を卒業した聡実くんに会いに行くのだが、和山先生曰くそれまでの間の狂児は服役しており、かなり悩んだが、出所してどうしても聡実くんに会いたくなったのだそう)

狂児は半ば強引に聡実くんを誘いはするが、中学生だからと見下さず、歌を教えてくれる先生として彼に礼を尽くす。聡実くんも、ビビったり怒ったりしながらも、はっきりと自分の思ったことをぶつけるので、そんなに流されているというわけではない。

このふたりの奇妙な関係性に名前をつけるのはあまりにも野暮だけれど、一種の愛が含まれているのは間違いない。

友人から愛は与えるものらしいと聞いたがピンとこない聡実くんは、自宅の食卓で見た両親の何気ない行動に愛の気配を感じ取る。そこで狂児を思い出し連絡するというのがほんとうに可愛くてたまらないのだが、演出でニクいなと思ったのはこのあたりで合唱曲「心の瞳」を被せてきたこと。数ある合唱曲のなかでも歌詞やメロディーがとりわけ美しく、歌い継がれている、とても有名な曲だ。

「愛すること それがどんなことだか 分かりかけてきた」

いちご狩りのシーンも、助手席に乗った人間のシーンも、ないのが悲しくてさみしくてたまらないが、いちばんヒェッ、、と思ったのは聡実くんの怒りが狂児に向けて爆発するところである。

ただ爆発するきっかけが違ったことが引っかかったのではなく、やけに聡実くんの心が合唱から少し離れた場所にあるように見えたというか。

原作では狂児が聡実くんの合唱に対する姿勢を軽んじてしまったために聡実くんを怒らせ、泣かせてしまったが、本作ではそこではなく、聡実くんのもっとパーソナルな部分というか、いやもっと単純で、お年頃であるがゆえの部分をつつかれたから、思春期が爆発した、みたいな印象を受けた(もしかしたら誤解されたくない理由があったかもしれないが、、、、、、、)

ただ、狂児は狂児でああいういじり方を普通にしそうだからそれはそれでおかしくはないのだけど、冒頭で先生が忘れてきたトロフィーを聡実くんが取りに行く際、賞状が入っているであろう筒を「これ頼む」と言い、ぽんと後輩の和田に渡したシーンがやけに残っていたので、余計におや、と思った。和田も手渡された筒をじっと見ていた。和田はプライドがものすごく強い。和田が部長だったら、貰った賞状を手放すことはないだろう。聡実くんは執着や誇りがないからそうなったのか、最後の大会で銅賞だったからあっさりと手放したのか。そこまでは読み取れなかった。

おそらくこの映画は、これから先も観るたびに、こんなふうに何かに気付かされるのだろう。

劇場に足を運んだ人たちは、笑っただろうか。泣いただろうか。ひとりのオタクとして、この物語と和山やまというひとりの作家がさらに世に知られるきっかけになったと思うと、胸があたたかい波でひたひたになる。

1回目に観たあとの、あのぐずぐずとした感情はなんだったのだろうか。原作があまりにも好きすぎるゆえ、あまりに多い改変が許せず、拗ねていたのかもしれない。2回目に挑戦したおかげでこの作品はれっきとした「映画版・カラオケ行こ!」だと納得はできたけれど、それでも原作をいちばんに愛している気持ちは変わらない。

どうか原作も手に取ってもらえますように。そして、「ファミレス行こ。」も制作される日が1日でも早く訪れますように。その前に原作の下巻が早く読めますように。ついでに和山先生の「女の園の星」4巻も早く読みたくてたまらないです。和山先生、お忙しいとは思うけれど、お身体を大事に頑張ってほしい。齋藤潤くんも、いっぱいご飯を食べて大きくなっておくれよ。ファミレスでバイトをする聡実くんに早く会いたいんだ。



(2024/04/17追記)

制作の経緯としては、まずプロデューサーが仕事をした経験があり信頼も寄せる綾野剛にオファー→綾野剛は和山先生の大ファン!快諾→脚本は野木亜紀子さんに依頼、「女の園の星」だけ既読だった野木さん、「カラオケ行こ!」を読んで難しいけど自分がやった方がいいと思い引き受ける(かっこよすぎ)→プロデューサー、綾野剛、野木亜紀子さんで相談して監督は山下監督に。そして聡実くんオーディション開催、といった流れだったらしい。

綾野剛の丁寧な役作りに納得。




↓再鑑賞

2024/04/14


横で観ていた関西出身の恋人曰く、齋藤潤くんの関西弁は「さすがに笑ける」、綾野剛は「気にならへん」、芳根京子は「この人うまいわ」とのことでした。
ma

ma