netfilms

アントニオ猪木をさがしてのnetfilmsのレビュー・感想・評価

アントニオ猪木をさがして(2023年製作の映画)
3.4
 タイトルは堂々と『アントニオ猪木をさがして』とあるが、アントニオ猪木のブラジルの生家を尋ねる辺りまでは確かにさがしているのだが、その後はまったくアントニオ猪木を「探して」も「捜して」もいない。金曜8時に毎週観ていれば普通の履修科目(映像)ばかりで、アントニオ猪木の意外な姿などどこにもない。第一、神田伯山や安田顕にアントニオ猪木を語ってもらおうという試みそのものが無謀で、神田伯山の巌流島の口上などそれらしく演出しようとも、残念ながら当時のマサ斎藤と猪木のボートから卒塔婆を持ちながら巌流島に上陸する2人の爆笑シーンには勝てるはずがない。アントニオ猪木という人は稀代のエンターテイナーであり、彼自身が燃える闘魂だった。お付きのカメラマン原悦生さんに撮られた写真には目ん玉引ん剝いた猪木の写真ばかりが並び、流血すればその異様さは増して行った。テレ朝保坂アナの元旦1・4ドーム興行における「もし試合に負ければ?」の言葉に「勝負をやる前から負けることを考えるバカがいるのかよ?」の返しは正に奇跡的な問答で、今では良く出来たコントのようだが、当時のアントニオ猪木の殺気と笑いとは紙一重の世界だったことがわかる。

 第一、アントニオ猪木の語り部に藤波辰爾や藤原喜明は登場しても、長州力や天龍源一郎、そして前田日明が登場しないことの片手落ち感は拭えない。UFOの初代タイガーや小川直也のインタビューも何が何でももぎ取って欲しかった。新間寿や永島勝司らご老体の証言が入っていないのもアントニオ猪木ファンとしては物足りない。盟友・坂口征二や下の世代である蝶野、武藤、船木のインタビューも同時に必要だったろう。令和の新日と昭和の新日とは同じ「新日本プロレス」でもまるで違う。どちらが良いとか悪いとかではなく、所属するレスラーにとって時代は流れているのだ。その象徴的な場面は棚橋弘至が海野翔太に猪木の影響を聞く場面で、僕は猪木さんよりも棚橋さんを尊敬していますという言葉をアントニオ猪木の名を冠した映画に持って来るのは流石に如何なものか?ナンチャンや勝俣や水道橋博士よりも、現代の最高の昭和プロレスの語り部であるくりぃむしちゅーのアリペーに野木道場の名場面を持って来たのはわかるのだが、棚橋だけが真実を知らぬ状況の中で、テレビ的なシナリオありきでアントニオ猪木の巨大ボードへ誘導するようなあの演出スタイルも果たしてどうか?

 猪木ファンとしては普通に猪木の試合の名場面を紡ぎながら、関わり合いのあった人物のインタビューでオーソドックスに纏めれば良いものを、80、90、2000年代初頭の三原光尋の凡庸な再現ドラマには苛立った。猪木問答の時の鈴木健想のやりとり「僕は明るい未来が見えません」の時の蝶野の笑いをこらえる様子や、1年に数回無性に観たくなる猪木引退カウントダウンでのベイダーのジャーマン投げっ放し(リングサイドのタイガー服部の表情!!)はブックとアングルのちょうど中間を揺蕩う危険なアントニオ猪木の姿を見た。引退試合のドン・フライの忖度試合は正直言って凡庸で、会長と最後の対決となるベイダー戦の会長への憎しみこそが本物の名勝負だった。あの『ガンバって』の掛け声は所属団体を解雇されたベイダーからの叱咤激励だろう。それをスクリーンで観られたことが何よりも幸せだった。
netfilms

netfilms