netfilms

アキレスと亀のnetfilmsのレビュー・感想・評価

アキレスと亀(2008年製作の映画)
3.7
 ギリシャ神話時代のアニメーション、パルメニデスによるゼノンのパラドックス。足の速いアキレスと足の遅い亀、果たしてアキレスは亀に追いつくのか?古代ギリシャの哲学者ゼノンは驚くような仮説を立てる。群馬県の豪族の家、美術好きで富豪の父・利助(中尾彬)を持った真知寿(吉岡澪皇)は、絵を描くことが大好きな少年で、夢中になって絵を描いている。父がパトロンになったフランス帰りの画家・高輪(仁科貴)は真知寿の絵を見るとびっくりした表情で、小豆色のベレー帽をプレゼントする。しかし海外から輸入した蚕は全滅し、倉持家は壊滅的な打撃を受ける。倉持製紙や倉持銀行は倒産、利助は芸者の道奴と2人揃って首吊り自殺をする。真知寿は母親の春(筒井真理子)と共に田舎の農村を訪ね、利助の弟の富輔(大杉漣)夫婦に預け、家を出て行った。程なくして母親も他界、彼女の顔半分に染まった真っ赤な鮮血。その姿を真っ白なキャンバスにデッサンした真知寿は富輔に勘当され、新聞配達店店主(六平直政)に預けられる。無口なまま新聞屋に預けられた青年期の真知寿(柳憂怜)は、菊田昭雄(伊武雅刀)の息子である画商(大森南朋)の忠告を受け、新聞屋を辞め、美術学校に通うため昼間の工場の仕事に就く。やがて工場の事務の幸子(麻生久美子)と結ばれた真知寿は、一人娘のマリ(徳永えり)を授かった。しかし一家の生活は一向に楽にならず、幸子の稼ぎに頼っていた。

 『TAKESHIS'』、『監督・ばんざい!』と続いた自己投影3部作のファイナルも、北野武氏による自身のフィルモグラフィへの冷静沈着なメタ批評に他ならない。前作『監督・ばんざい!』で映画監督だった主人公は画家へと形を変える。幼少期から絵描きになる夢だけを描いてきた真知寿が親の倒産、両親の自殺、一家離散という悲劇を経て、孤独な苦学生になり働く様子は『菊次郎の夏』の正男(関口雄介)を彷彿とさせる。メンターとなるはずだった高輪に貰った帽子を真知寿は血の繋がった家族の誰よりも大事にし、やがて大人になる。正男にとっての菊次郎(ビートたけし)役は、今作ではチック症のような癖を見せる又三(三又又三)に呼応する。知恵遅れでただ純粋に絵が好きだった又三の非業の死にも明らかなように、今作は真知寿の身の周りの人間がバタバタと死んで行く。だが純粋な心を持ち、芸術に没頭する真知寿だけはどんなに死にたい状況になっても簡単には死ねない。吉岡澪皇から柳憂怜にバトンされた真知寿の成長譚はなかなかナイーブで引き込まれるが、ビートたけしになった途端にコントのような演出が続くのは流石に難ありだろう。大森南朋の「生と死の境目で描け」という忠告を守り、妻・幸子が真知寿を浴槽に沈める場面の滑稽さは思わず言葉を失う可笑しさを伴う。芸術家としての性分を貫きたい夫とそれを支える妻の構図は滑稽だが、娘マリは2人の狂気じみた行動を散々糾弾し、この世を去る。

 一輪の向日葵を手に、火事場に赴いた真知寿の狂気は耳を切り落としたゴッホを彷彿とさせる。バイク事故で一命を取り留めた北野武は、死にたくても死ねなかったその後の人生を生きたことで、伝説の監督となる機会を永遠に逸した。自己投影3部作の根底にあるのは、初期の無邪気だった「北野映画」には戻れない北野氏自身の諦念に他ならない。簡単に死ねない主人公の病巣は戯画的だが、生き残ってしまった代わりに芸術に全てを捧げる。クライマックスは多分に予定調和的だが、3部作で見せた北野武の諦めにも似た弱さに好感を持った。
netfilms

netfilms