ささい

悪は存在しないのささいのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
3.5
自然(水、木、鹿、人間)
ビジネスの善悪
バランス
体験すること
コロナ禍
コミュニケーション
音楽

現代の社会において、人が心の在り処としての自然への回帰を望んでいるような気がする。ゴッドランドしかり、本作しかり。映画が社会をそのまま映すものだとすると、近年の自然回帰的な方向は確実に高まっている。それは環境問題を見つめ直そうという、人間による管理的な視点ではなく、ただ圧倒的かつ、力の及ばぬ、適うことのない自然という本質的な、ただ大きな存在としての自然とちっぽけな私達という観点だ。従ってとても自然へのリスペクトを感じる。ほんの些細な自然の呼吸に、そっとこちら側が呼吸を合わせるような演出や見せ方。ひたすらに美しく、聖域で、それでいて、それ故の不気味さ、自然教とも言えるような信仰がある。
最近の映画を見ていると、やはり私も自然ときちんと向き合って、じっくりと対話をしないといけないと、自然と友達にならないといけないなと思う。さもないと私は永遠に自然から来る、ありとあらゆる物質に触れても何も感じず、ただ偽物の感動しか得ることが出来ないだろう。

この世界には絶対的な善もなければ、絶対的な悪もない。善悪とは常に場所や立場を入れ替え続けるものだ。重要なのは善と悪のバランスを維持しておくことだ。どちらかに傾き過ぎると、現実のモラルを維持することが難しくなる。均衡そのものが善なのだ。
(「1Q84」村上春樹)

最後のシーンについて
彼はバランスを取らざるを得なかった。
花と巧の関係は、村上春樹の1Q84に登場する。ふかえりとその父のさきがけのリーダーの関係と似ている。レシヴァとパシヴァだ。巧が知覚し、花が受け取る。あの家庭が、自然と人間との架け橋のような存在として描かれている。とすると、巧はあの手負いの親鹿からの何かしらのメッセージを知覚した、所謂、我々の住処を犯すものを排除しろという内容、それを受けて彼が取った行動が最後のそれだったのではないだろうか。巧の姿勢は一貫している。自然と、人間のバランスを取る。賛成でも反対でもない、ただ中立で、善のバランスを取るのだ。時に人に自然のあり方を教え、それ故に自然を侵犯する。また、時には自然の方向からものも考える。それがラストでは自然の方の味方に働いたというだけのこと。だから便利屋でいられるのだ。人にとっても、自然にとっても。
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