ガッサ28

悪は存在しないのガッサ28のネタバレレビュー・内容・結末

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

ここで終わるのかという感じ。

コロナ禍の補助金という、昨今の社会状況をきっかけにした市井の人々の社会構造を描いたのかなと思っていた。途中までは。
それは合っていると思う。
現に有名な俳優は出演させないことで、その今の社会に生きる人々のリアリティを増すことに成功していると思った。
有名な俳優だと事前イメージがあり、それが難しいんだなと思う。

悪は存在しない。
確かにその通りだと思った。
地域住民も芸能事務所の彼らも自分の役割とすべきこと、守るものを踏まえての行動だからだ。社長もそう。売上(に相当する補助金)を確保するのが彼の役割、至上命題だし、コンサルにしてもプロジェクトを完遂させるサポートが彼の役割であり、問題が発生しからといってできない・やらないと言うことはコンサルの前提としてありえない。
つまり、誰もその与えられたロールを実行しているに過ぎず、ロールに忠実なことは悪ではない。

悪はいないのだが、解釈が必要なのはラストシーンだ。
シカも森で生きているだけで悪ではない。生きるために、手負いかつ子持ちのシカは主人公の娘を襲った。それ自体はシカにとっては当然の防衛行動である。
だから主人公にとってはシカは悪者にできない。
でも娘が襲われ、その犯人探しとなった時に排除されるのはシカになってしまう。
シカの通り道に来てしまった娘に非があっても、人間社会のルールとしてはそうなる。
シカを犯人にせず、娘を助けてかつグランピング場も作らせないとなるには、芸能事務所の男が娘を襲ったことにし、正当防衛として主人公が事務所の男を落とした(殺した?生死は不明)ことにし、娘を救出して病院に急いでいるということだろう。
(事務所の男が娘を襲う動機は何になるかが別問題としてあるが)

ここで疑問が出てくる。
主人公は罪のない事務所の彼に罪を着せて落として(殺して)しまっているわけで、主人公は悪ではないのか?ということだ。
思うに、主人公のしたことは罪ではあるかが、あの場で娘と森と鹿と地域を助けるロールを与えられた主人公としての行動の結果であり、あれは悪ではないということか。
罪との違い、必要悪、ということなのか。
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