くろまつ

悪は存在しないのくろまつのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
5.0
石橋英子の劇伴に陶然としてると、(文字通り)自然なる神に羽交い締めされ森の深淵に引き摺りこまれる唐突なラストに驚愕。

黒沢清『CURE』の影響をかねてより公言してきた濱口竜介版の『CURE』ではないだろうか。
思えばこれまでも『寝ても覚めても』の一人二役の東出昌大が入れ替わるシーンや『ドライブ・マイ・カー』の唐突に死んだ西島秀俊の妻(であり不倫相手でもあった)が乗りうつったかのように奇妙で暴力的な物語を語りだす岡田将生など、我々が見てるはずの日常のルールが突如変質し、私達が見ている世界はかりそめで見え方次第で如何様にも変質しうるということを生々しい感触で思い起こさせる瞬間を度々入れてきた作家である。
本作ラストの霧に包まれた林のショットの神々しさだ。
アーモンドのような瞳と長い髪が印象的な、森の自然に親しい理知的な少女が、青いニット帽を脱いで、顔の全貌をスクリーンに晒し、映画を見る観客を射抜くショットの視線の強さが凄まじい。彼岸と此岸の境界を超越した無垢な子供の自然への敬意と所作の凛とした美しさと、微かに宿る人間が作り出した大きなシステムをも見通す目。
本作はそのまま受け取れば、国家(行政)からウォーターフォール的に末端のチンケで小汚い欲望にまみれた会社を覆い尽くすシステムと、木々や鳥や鹿や小川といった複雑な要素が絡まり合った生態系というシステムとが衝突した末の、自然の側に属する人間(巧)がどちらのシステムをも利用し、己の欲望を満たしてしまう物語だったと結論付けられなくもない。
だがやはり私は、自然界と人間側の系を調整するバランサーを務める存在(巧が人間側の調整役・便利屋で、花が自然側のバランサーと見れなくもない)が、人間側の歪んだ欲望を凌駕してしまう寓話のように思えてならなかった。
黙示録のような幻想譚ホラーの余韻に包まれながら、春先にしてはあつすぎる初夏の陽気の夕方に電車に揺られ帰路につくのが幸福であった。

(西川玲、きっとすごい俳優になるに違いない)
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